2017/06/28

字典「迺(廼)」

「迺(廼)」

釋義

甲骨文

前後をつなぐ副詞として用いられる。
  1. 副:すなわち。そして。そこで。=乃
    庚辰卜,王:祝父辛羊豕,𫹉父〼
    《合集》19921;𠂤小

    于壬王田,亡𢦔(災)。
    《合集》28609;無一
  2. 名:地名。
    〼步于
    《合集》8270;賓一

    王㞷(往)于
    《合集》33159;歷一

金文

前後を接続する副詞(あるいは接続詞)として用いられる。前後の句同士は因果関係や、単純な時間の前後、仮定と結果など多岐にわたる。
  1. 副:すなわち。そして。そこで。
    接:すなわち。そして。そこで。
    才(在)𦮘(艿),白(伯)懋父罰得、𫷢、古三百寽(鋝)。
    師旂鼎,《銘圖》02462;周中

    正廼𡀚(訊)厲曰:“女(汝)賈田不(否)?”厲許,曰:“余審賈田五田。”
    五祀衛鼎,《銘圖》02497;周中

    用夨[⿰戈業](業)散邑,即散用田。
    散氏盤,《銘圖》14542;周晩

楚簡

接続用法のほか固有名詞としても用いられている。
  1. 副:すなわち。そして。また。さらに。=乃
    又(有)孚不終,乃𤔔(乃)啐(萃)。
    上博一《周易・革》29

    改(巳)日(乃)孚,元羕(享)貞,利貞,𠰔(悔)亡。
    上博一《周易・革》47
  2. 副:すなわち。そして。そこで。続いて。=乃
    [⿱少子]〓(小子)發取周廷杍(梓)梪(樹)于氒(厥)𨳿(間)。
    清華壹《程寤》1

    方(旁)救(求)巽(選)睪(擇)元武聖夫,𦟤(羞)于王所。
    清華壹《皇門》3

    [⿰亻𧧈] (訊)敚(説)曰:“帝殹(繄)爾以畀[⿱余口](余),殹(抑)非?”
    清華叁《説命上》3

    才(在)[⿹暊又](夏)之𣂟(哲)王,嚴[⿰礻寅]畏皇天上帝之命。
    清華伍《厚父》3
  3. 「又廼」:古国名。=有娀
    禼(契)之母,又(有)廼(娀)是(氏)之女也。
    上博二《子羔》10

釋形

甲骨文は「西」あるいは「鹵」と凵形あるいは「口」に従い、多くの字体が見られる。「西」は声符である可能性が高いが、「西」が「鹵」に変化したのか、「鹵」が「西」に変形音化したのかは不明。仮借の用法しかなく、造字本義は定かではない。上部は塩粒で下部は皿(高鴻縉)、上部は容器で下部は敷物(朱方圃)、といった説が代表的ではあるがいずれも根拠に乏しい。
周晩期に「卣」と同化して上部に横画が追加された。下部の凵形の部品は戦国時代には𠃊形となり、後漢代に草書の「辶」と同形化し、楷書で「辶」あるいは「廴」に変化した。
説文古文の「𠨅」は先秦に用例がなく、誤りと思われる。

釋詞

上述のように、接続用法は仮借と思われ、本義は不明である。


字典「乃」

「乃」

釋義

甲骨文

二人称代詞として用いられるが、主語や目的語にはならず、連体修飾(領格・属格)として用いられる。また「迺」と同様に接続詞的な副詞として前後の句をつなぐ用法もある。
  1. 代:なんじの。あなたの。
    戊戌卜,㱿,貞。王曰:𥎦豹逸,余不爾其合,㠯史(使)歸。
    《合集》3297正;典賓

    庚辰卜:于卜土。
    《合集》34189;歷組
  2. 副:すなわち。そして。そこで。=迺
    [辛]亥貞:王令○㠯子方,奠于并。
    《合集》32833;歷二

    翌日庚其𣏮,雩,𠨘至來庚亡大雨。
    《合集》31199;無一

金文

甲骨文同様に連体修飾の二人称代詞として用いられる。西周中晩期には「乃」を主語として用いる例や、指示代詞としての用法が数例見られる。
接続用法では「迺」と同一視されることが多いが、その語法には若干の違いがある。
  1. 代:なんじの。あなたの。祖先を修飾する用法が多い。
    𬲏(載)先王既令(命)𫨶(祖)考事。
    師虎簋,《銘圖》05371;周中

    㠯(以)𠂤(師)右比毛父。
    班簋,《銘圖》05401;周中

    勿灋(廢)朕命,母(毋)㒸(墜)政。
    逆鐘,《銘圖》15193;周晩
  2. 代:なんじ。あなた。
    任縣白(伯)室。
    縣妀簋,《銘圖》05314;周中

    毌政事,母(毋)敢不尹人不中不井(型)。
    牧簋,《銘圖》05403;周中

    可(苛)湛(勘)。女(汝)敢㠯(以)乃師訟。
    𠑇匜,《銘圖》15004;周中
  3. 代:この。その。「申就乃命」の用法が多い。
    今余隹(唯)𤕌(申)𫢁(就)命。
    牧簋,《銘圖》05403;周中

    𩁹𡀚(訊)庶右粦(鄰),母(毋)敢不明不中不井(型)。
    牧簋,《銘圖》05403;周中

    人,乃弗得,女(汝)匡罰大。
    曶鼎,《銘圖》02515;周中
  4. 副:すなわち。そして。そこで。
    接:すなわち。そして。そこで。
    履付裘衛林𡥨里,則成夆(封)亖(四)夆(封)。
    九年衛鼎,《銘圖》02496;周中

    噩(鄂)𥎦(侯)馭方內(納)壺于王,祼之。
    鄂侯馭方鼎,《銘圖》02464;周晩

    用昭乃穆穆不(丕)顯龍(寵)光,用𣄨(祈)匃多福。
    遟父鐘,《銘圖》15297;周晩
  5. 副:すなわち。そうしてはじめて。そこでやっと。
    [必]會王符,敢行之。
    新郪虎符,《銘圖》19176;戰晩
  6. 接:もし。仮に~ならば。
    令眔(暨)奮,克至,余𠀠(其)舍(捨)女(汝)臣十家。
    令鼎,《銘圖》02451;周早

    求乃人,弗得,女(汝)匡罰大。
    曶鼎,《銘圖》02515;周中
  7. 人名用字。
    𪺡子乍(作)氒(厥)文考寶𬯚(尊)彝。
    乃𪺡子鼎,《銘圖》02044;周早

    𫨸(矧)辛白(伯)蔑子克𤯍(懋)。
    乃子克鼎,《銘圖》02322;周早

楚簡


  1. 代:なんじの。あなたの。
    《康[⿱言廾](誥)》員(云):“敬明罰。”
    郭店《緇衣》29

    《康[⿱言廾](誥)》員(云):“敬明罰。”
    上博一《緇衣》15

    愻(遜)惜(措)心,𦘔(盡)𡧛(付)畀余一人。
    清華壹《祭公之顧命》8
  2. 代:なんじ。あなた。
    休才(哉),𨟻(將)多昏(問)因由,乃不[⿺辶⿱止㚔](失)厇(度)。
    上博三《彭祖》1
  3. 副:すなわち。まさに。~である。
    攸(修)之身,丌(其)惪(德)貞。
    郭店《老子乙》16

    攸(修)之向(鄉),其惪(德)長。攸(修)之邦,其惪(德)奉(豐)。
    郭店《老子乙》17
  4. 副:すなわち。そして。そこで。
    咎(皋)𡍒(陶)既已受命,𠓥(辨)侌(陰)昜(陽)之[⿱既火](氣)。
    上博二《容成氏》29

    參(三)[⿰土丯](郤)既亡,公家溺(弱),鑾(欒)箸(書)弋(弒)[⿰⿻木𦥑攵](厲)公。
    上博五《姑成家父》10

    立丗〓(三十)又九年,戎大敗周𠂤(師)于千[⿱母田](畝)。
    清華貳《繋年》第一章4

    欲亓(其)子奚𬁼(齊)之爲君也,[⿰言⿱虫虫](讒)大(太)子龍(共)君而殺之。
    清華貳《繋年》第六章31
  5. 副:すなわち。すでに。過去や完了を表す。
    [⿱允𪢾](舜)老,視不明,聖(聽)不[⿰耳兇](聰)。
    上博二《容成氏》17

釋形

極めて単純な形で、字義も仮借と考えられるため、解釈は難しい。形は「弓」にも似ている。
「繩」の初文で縄の象形(朱芳圃、何琳儀)、「奶」の初文で女性の乳の象形(郭沬若、徐中舒)の二説が代表的であるが、いずれも根拠に乏しい。ここでは、物を引く形で「扔」の初文ではないか、という可能性も提示しておく。
説文籀文の「𠄕」は先秦に用例がなく、誤りと考えられる。

釋詞

「乃」のほか二人称代詞に用いられる「女(汝)」「爾」「而」などはいずれも近音で同源詞と思われる。


2017/06/15

字典「㠯(以)」

「㠯」

釋義

甲骨文

殷代における「㠯(以)」字の用法は広いが、おおむね現在と同様の意味である。
  1. 動:もちいる。 ひきいる。
    前:もって。~によって。~をひきいて。
    《合集》31977;歷二
    ①辛亥,貞: [⿱匕鬯]㠯(以)衆灷,受又(佑)。
    《合集》35356;黄二
    ②乙丑卜,貞:王其又升于文武帝祼,其㠯(以)羌,其五人正,王受又〓(有佑)。
  2. 動:もたらす。もってくる。献上する。
    《合集》33191;歷二
    ①癸亥,貞:厃方㠯(以)牛,其登于來甲申。
    《合集》93正;賓一
    ②己丑卜,㱿,貞:即芻,其五百隹,六。
  3. 動:祭祀名。 
  4. 《合集》32848;歷二
    ①辛巳,貞:㠯(以)伊示。
    《合集》32543;歷二
    ②庚寅,貞:王米于囧㠯(以)祖乙。
  5. 接:および。並びに。
    《合集》21562;子組
    ①庚辰,令彖隹來豕㠯(以)龜二,若令。
    《合集》33278;歷二
    ②辛酉,貞:王令○㠯(以)子方奠于并。

金文

金文における「㠯(以)」字の用法はとても広く、分類の難しい用例もある。
  1. 動:ひきいる。引き連れる。
    小子[⿱夆囧]卣,《銘圖》13326;商晩
    ①子令小子[⿱夆囧]㠯(以)人于堇。
    小臣𬣆簋,《銘圖》05269-05270;周早
    ②白(伯)懋父㠯(以)殷八𠂤(師)征東尸(夷)。
    師訇簋,《銘圖》05402;周晩
    ③率㠯(以)乃友干(捍)䓊(禦)王身。
  2. 前:もって。~で。~によって。
    鼓䍙簋,《銘圖》04988;周早
    ①王令東宮追㠯(以)六𠂤(師)之年。
    衛姒鬲,《銘圖》02802;周晩
    ②衛㚶(姒)乍(作)鬲,㠯(以)從永征。
    曾伯漆簠,《銘圖》05980;春早
    ③余用自乍(作)[⿺辶旅](旅)𠤳(簠), 㠯(以)㠯(以)行,用盛稻粱。
  3. 前:もって。~によって。~にもとづいて。「是以」
    虢季子白盤,《銘圖》14538;周晩
    ①折首五百,執訊五十,是㠯(以)先行。
    中山王鼎,《銘圖》02517;戰中
    ②氏(是)㠯(以)賜之氒(厥)命。
  4. 前:もって。~をひきいて。ともに。=與
    麥尊,《銘圖》11820;周早
    ①王㠯(以)𥎦(侯)内(入)于𡨦(寢)。
    虢仲盨蓋,《銘圖》05623;周晩
    ②虢中(仲)㠯(以)王南征,伐南淮尸(夷)。
    食仲走父盨,《銘圖》05616;周晩
    ③走父㠯(以)其子〓孫〓寶用。
  5. 前:もって。~を。~に対して。
    師旂鼎,《銘圖》02462;周中
    ①吏(使)氒(厥)友引㠯(以)告于白(伯)懋父。
    曶鼎,《銘圖》02515;周中
    㠯(以)匡季告東宮。
    𠑇匜,《銘圖》15004;周中
    ③乃師或㠯(以)女(汝)告。
  6. 接:もって。そして。それで。
    善夫山鼎,《銘圖》02490;周晩
    ①受册,佩㠯(以)出。
    晋侯蘇鐘,《銘圖》15307-15308;周晩
    ②𩵦(蘇)𢱭(拜)𩒨(稽)首,受駒㠯(以)出。
    中山王鼎,《銘圖》02517;戰中
    ③含(今)𫊣(吾)老賈,親率曑(三)軍之眾,㠯(以)征不宜(義)之邦。
  7. 接:および。並びに。=與
    夨令尊,《銘圖》11821;周早
    ①爽𬢚(左)右于乃寮㠯(以)乃友事。
    大克鼎,《銘圖》02513;周中
    ②田于[⿰⿱田山夋](峻),㠯(以)氒(厥)臣妾。
    大簋蓋,《銘圖》05345;周晩
    ③余弗敢𫿣(吝), 豖㠯(以)𬑪(睽)[⿰舟頁](履)大易(錫)里。
  8. 助:場所や時間の範囲を示す。のみ。
    散氏盤,《銘圖》14542;周晩
    ①眉(堳)自𬉄(瀗)涉㠯(以)南,至于大沽(湖)。
    新郪虎符,《銘圖》19176;戰晩
    ②用兵五十人㠯(以)上,[必]會王符。

楚簡

用例が多く、用法も広い。代表的なものを示す。
  1. 前:もって。~で。~によって。
    包山《集箸言》144
    ①小人信㠯(以)刀自㦹(傷)。
    郭店《老子甲》3
    ②其才(在)民上也,㠯(以)言下之。
    清華貳《繋年》第十一章59
    㠯(以)女子與兵車百𨌤(乘)。
  2. 前:もって。~によって。から。
    包山《疋獄》99
    㠯(以)亓(其)反(叛)官,自䜴(屬)於新大[⿸厂⿰飠攵](廐)之古(故)。
    上博七《鄭子家喪》甲本6
    㠯(以)子家之古(故)。
    清華貳《繋年》第十八章103
    ③至今齊人㠯(以)不服于晉。
  3. 前:もって。~のときに。時間を表す。
    包山《疋獄》90
    㠯(以)甘𠤳(固)之𫻴(歲)。
    包山《集箸言》132
    㠯(以)宋客盛公[⿰畀臱](邊)之𫻴(歲)[⿰⿱井田刃](荆)𫵖(夷)之月癸巳之日。
    包山《集箸言》145反
    㠯(以)八月甲戌之日。
  4. 前:もって。~をひきいて。ともに。=與
    包山《集箸》2
    ①魯昜(陽)公㠯(以)楚帀(師)𨒥(後)𩫨(城)奠(鄭)之𫻴(歲)。
    上博四《昭王毀室》5
    ②卒㠯(以)夫〓(大夫)㱃〓(飲酒)於坪澫。
    清華貳《繋年》第十九章106
    ③吴縵(洩)用(庸)㠯(以)帀(師)逆[⿰㣇阝](蔡)卲(昭)侯。
  5. 前:もって。~を。~に対して。
    包山《集箸》159
    ①罼(畢)紳命㠯(以)[⿰𪰊頁](夏)[⿺辶各](路)史、[⿺辶舟]史爲告於少帀(師)。
    上博二《容成氏》10
    ②堯㠯(以)天下襄(讓)於臤(賢)者。
    清華貳《繋年》第六章35
    ③秦穆公㠯(以)亓(其)子妻之。
  6. 接:もって。そして。それで。
    包山《受幾》22
    ①不諓(察)[⿱陳土](陳)宔(主)[⿰角隼](顀)之[⿰昜刂](傷)之古(故)㠯(以)告。
    上博六《莊王既成》1
    㠯(以)昏酖(沈)尹子桱。
    清華貳《繋年》第十六章90
    ③厲公亦見𧜓(禍)㠯(以)死,亡𨒥(後)。
  7. 接:もって。~ので。~のために。
    包山《疋獄》93
    ①𨛡(宛)人𨊠(範)紳訟𨊠(範)駁,㠯(以)亓(其)敓亓(其)𨒥(後)。
    清華壹《金縢》12
    ②今皇天[⿺辶童](動)畏(威),㠯(以)章公惪(德)。
    清華貳《繋年》第十三章63
    ③楚人被[⿱加車](駕)㠯(以)追之。
  8. 助:場所や時間の範囲を示す。のみ。
    上博二《容成氏》27
    ①㙑(禹)乃從灘(漢)㠯(以)南爲名浴(谷)五百。
    上博六《競公瘧》10
    ②自古(姑)、𧈡(尤)㠯(以)西,翏(聊)、𡥨(攝)㠯(以)東

釋形

人が物を持っている形。「携える」「持ってくる」の意味を表している。
殷村南派や周代には右部を省略した略体が用いられ、これが楷書の「㠯」の起源となっている。戦国時代秦国では略体に再び「人」を加えた字体が作られ、これが楷書の「以」の起源となっている。

古くは甲骨文の繁体について「氏(致)」「氐」字と釈す説が主流であった。また「㠯」の起源となった字体は「耜」の初文で農具の象形と考えられていた(徐中舒)。しかし、《合集》277と《合集》32023の対比などにより、「氏」「氐」と考えられていた字体と「㠯」とが繁簡関係にある同一字種であると指摘され、上記の旧説が否定された(島邦男、王貴民、林澐、裘錫圭等)。

釋詞

「㠯」声字は「台」声字や「矣」声字などを含み非常に数が多い。「能」声字を同源とする説もある。


2017/06/03

字典「𦣞(𦣝)」

「𦣞」

釋義

金文

用例は少なく、固有名詞にしか用いられていない。
  1. 名:人名。族名。
    𦣞
    𦣞觚,《銘圖》09037;商晩

    鑄子弔(叔)黑𦣞肈乍(作)寶盨。
    鑄子叔黑𦣞盨,《銘圖》05607-05608;春早
  2. 名:姓。=姬
    魯白(伯)愈父乍(作)鼄(邾)𦣞(姬)仁𦨶(媵)𬐿(沬)盤。
    魯伯愈父盤,《銘圖》14448;周晩

    黄子乍(作)黄甫(夫)人孟𦣞(姬)器則。
    黄子鬲,《銘圖》02844;春早

楚簡

用例は「頤」が《周易》に用いられているのみ。
  1. 名:卦の一つ。
    :貞吉。觀,自求口實。
    上博三《周易・頤》24

秦簡

用例は「頤」が《日書・黄鐘》に用いられているのみ。
  1. 名:あご。おとがい。下あご。
    兑(鋭)顔,兑(鋭),赤黑,免(俛)僂,善病心、腸。
    放馬灘《日書》乙種《黄鐘》206

釋形

郭沫若は「頤」の初文で顎の象形、于省吾は「䇫」の初文で梳き櫛の象形、白川静は乳房の象形としている中で、于省吾の説がほぼ定説となっている(近年、蔣玉斌《甲骨文待登録字“𦣞”“巸”釋説》が発表されたが未見、下顎と歯の象形としているようである)。
殷墟甲骨文に「𦣞」の用例はないが、これを偏旁として含む「姬」字が見られる。後代の出土文字資料も同様に「𦣞」の用例は少ない一方で「姬」は多く見られる。
《説文》では「頤」が「𦣞」の異体字とされているため、習慣的に「𦣞」「頤」を同一字種として扱うことがある。「頤」は隷書楷書ではさまざまな字形が見られる。「顊」は《康煕字典》では「頤」とは別字種として扱われている。

釋詞

「巸」声字と「喜」声字は音義とも近く、同源と考えられる。

  • 《説文》五篇上《喜部》「喜,樂也。」(96下)
  • 《方言》卷十「紛怡,喜也。湘潭之間曰紛怡,或曰巸巳。
  • 《尚書・堯典》「庶績咸熙。」、《文選・劇秦美新》「庶績咸喜。
  • 《説文》十二篇下《女部》「媐,說樂也。」(262下)
  • 《玉篇》卷二十一《火部》「熹,熱也,烝也,炙也,熾也。亦作“熈、暿”。」(390)

2017/06/01

字典「負」

「負」

釋義

金文

金文の「負」字は戦国晩期の兵器に一例あるのみである。
  1. 「負陽」:地名。
    十二年,負陽命(令)□雩,工帀(師)樂休,冶□。
    負陽令戈,《銘圖》17199;戰晩
また負黍令韓譙戈(《銘圖》17178-17180)は地名「負黍」を「[⿱付臣]余」とする。

楚簡

楚簡に「負」字は用いられていない。
上博三《周易・睽》33「見豕[⿱伓貝](負)𡌆(塗)」、同《周易・解》37「[⿱伓貝](負)𠭯(且)𨍱(乘)。」、今本《周易》が「負」とするところを上博簡は「⿱伓貝」に作る。

秦簡

法律文書では「負う」「償う」の用例が多く見られる。
  1. 動:おう。背負う。背中に物を載せる。
    吏自佐、史以上從馬、守書私卒,令市取錢焉,皆䙴(遷)。
    睡虎地《秦律雜抄》11

    一人米十斗,一人粟十斗,食十斗。
    嶽麓貳《數・衰分類算題》137
  2. 動:おう。責任、債務をもつ。
    作務及賈而責(債)者,不得代。
    睡虎地《秦律十八種・司空》136

    夫妻相反者,妻若夫必有死者。
    嶽麓壹《占夢書》9貳
  3. 動:つぐなう。賠償する。
    其不備,出者之;其贏者,入之。
    睡虎地《秦律十八種・倉律》23

    羣它物當賞(償)而僞出之以彼賞(償)。
    睡虎地《秦律十八種・效》174
  4. 名:つま。=婦
    驚多問新負(婦)、妴得毋恙也?
    睡虎地11號木牘反Ⅵ

    驚多問新負(婦)、妴皆得毋恙也?
    睡虎地6號木牘正Ⅴ
  5. 名:えびら。矢筒。=箙
    卒百人,戟十、弩五、三,問得各幾可(何)?
    嶽麓貳《數・衰分類算題》132

    述(術)曰:同戟、弩、數,以爲法。
    嶽麓貳《數・衰分類算題》133

釋形

「人」と「貝」に従う。戦国晩期以前には見られない。「府」の戦国時代に見られる異体字には「𢊾」「⿱付貝」「⿸广負」等があり、「負」は「⿱付貝(府)」から分化した字と思われる(黄德寬)。
南北朝~唐代には説文小篆を楷書化したものとして上部を「刀」とした字体が用いられたが、《五經文字》には「負」が採用された。

釋詞

「負」「背」「倍」は音義とも近く通仮例があり、同源である。
  • 《釋名・釋姿容》「負,背也,置項背也。
  • 《史記・酈生陸賈列傳》「項王負約不與。」,《漢書・酈陸朱劉叔孫傳》「項王背約不與。
  • 《釋名・釋形體》「背,倍也,在後稱也。
  • 馬王堆《老子》甲本《道篇》126「民利百負。」、同乙本233下「民利百倍。
否定の意志→「そむく」→「負う」という語義展開が考えられる。

2017/05/28

字典「某」

「某」

釋義

金文

用例が少ないが、全て「謀」の意味に用いられる。
諫簋について「無」あるいは「靡」と読み否定の意味とする説もある(郭沫若、楊樹達、裘錫圭)。
  1. 動:はかる。くわだてる。計画する。=謀
    王伐𬃚(蓋)𥎦(侯),周公某(謀),禽𬒯(祝)。
    禽簋,《銘圖》04984;周早

    女(汝)某(謀)不又(有)聞(昏),母(毋)敢不譱(善)。
    諫簋,《銘圖》05336;周中

楚簡

楚簡では人名の用例が多い。また遣策簡には「梅」の用法が見える。
  1. 代:なにがし。それがし。ある人。
    含(今)日𨟻(將)欲飤(食),敢㠯(以)亓(其)妻□妻女(汝)。
    九店《告武夷》43

    句茲也發陽(揚)。
    清華壹《祝辭》1

    代:なにがし。それがし。ある事。
    初日政勿若,今政砫(重),弗果。
    清華柒《越公其事》39
  2. 名:うめ。=梅
    一垪(瓶)某(梅)𨟻(醬)。
    信陽《遣策》21

    [⿳宀⿰必必甘](蜜)某(梅)一[⿰缶土](缶)。
    包山《遣策》255
  3. 名:姓。=梅
    某[⿳艸二艸]之黄爲右[⿰馬𤰇](服)。
    曾侯乙《乘馬》143

    某(梅)瘽才(在)漾陵之厽(三)鉩(璽),[⿵門⿰夕刀](間)御之典匱。
    包山《集箸》13

    訓。
    包山《所屬》193
  4. 名:地名。
    某丘一冢。
    葛陵甲三367

    [⿰既刂](刏)於𬏄丘、某丘二〼。
    葛陵甲三403

釋形

「甘/口」と「木」に従う。《説文》六篇上《木部》「某,酸果也。」段注「此是今梅子正字。」とあり、「楳(梅)」の初文。
先秦文字では「甘」旁と「口」旁はしばしば区別されない。先秦文字の字形は「呆/杲/𣏼/某」形の4種に分けられるが、漢代以降は「某」形が残った(ただし説文小篆は「杲」形)。漢~南北朝代は縦画が上部まで伸びた形が常用されたが、唐代には「其」の下部を「小」に換えたような字体が一般的となった。《康煕字典》は説文小篆を模倣した字体を掲出する。
「牟」の略体「厶」を借りる用法が特に仏教系の写本には多く見られる。

釋詞

「某」と「母」は同音である(《廣韻》莫厚切)。また「某」声と「母/毎」声は互いに通用し、両字は同源と考えられる。

  • 《集韻》平聲《灰韻》謀杯切「梅,或作“楳、某、槑”。」(231)
  • 《説文》三篇下《言部》「謀,慮難曰謀。𠰔,古文謀。𧦥,亦古文。」(46下)
  • 《禮記・中庸》「人道敏政,地道敏樹。」鄭玄注「敏或爲謀。

張建銘は以下の諸字を同源とし「始まり、兆し」の意味があるとする。
  • 腜,《説文》四篇下《肉部》「婦孕始兆也。」(81下)
  • 媒,《説文》十二篇下《女部》「謀也。謀合二姓者也。」(259下)
  • 謀,《説文》三篇下《言部》「慮難曰謀。」(46下)

2017/05/26

字典「不」

「不」

釋義

甲骨文

「亡」「勿」「弗」などとともに否定詞として用いられる。特に「弗」と用法が近く、占卜者の意志によらないもの(天候、災害など)に対して用いられ、「~できない」「~ではない」のように可能性を否定する。
  1. 副:ず、あらず。否定詞。
    ①甲戌卜:今日雨,雨。
    《屯南》82

    ②丙子卜,韋,貞:我其受年。
    《合集》5611正
  2. 名:人名。賓組卜辞に現れる。
    ①貞:子其㞢(有)疾。
    《合集》14007

    ②□寅卜,韋,貞:御子
    《合補》1966
  3. 名:方国名。=邳?
    ①庚申卜,王貞:余伐
    《合集》6834正

    ②……三人于中,宜𫳅。
    《合集》1064
  4. 「不用」:用辞の一つ。命辞で提出された予定を実行しないことを表す。
    ①辛酉貞:癸亥又(侑)父丁歲五牢。不用
    《合集》32665
  5. 「不若」:よくない。よくないこと。災い。
    ①甲申卜,争,貞:王㞢(有)不若
    《合集》891正

    ②……我勿巳賓,乍帝降不若
    《合集》6497
  6. 「不[⿱幺才]鼄」:吉凶判断語の一つ。意味はわかっていない。

金文

甲骨文同様、否定詞としての用法が多く見られる。決まり文句の多い金文では「不○」といった成語化した詞も多い。
  1. 副:ず、あらず。否定詞。
    ①十枻(世)[⿰𦣠言](忘)。
    獻簋,《銘圖》05221

    ②師㝨虔㒸(墜)。
    師㝨簋,《銘圖》05366-05367

    ③叀(唯)王龏(恭)德谷(裕)天,順(訓)我每(敏)。
    何尊,《銘圖》11819

    井(型)中……毋敢井(型)。
    牧簋,《銘圖》05403
  2. 助:…か、いなや。疑問語気詞。文末に置かれる。=否
    ①女(汝)𧵒(賈)田不(否)
    五祀衛鼎,《銘圖》02497
  3. 形:大きい,「不顯」「不𫠭」。=丕
    不(丕)巩(鞏)先王配命。
    毛公鼎,《銘圖》02518

    不(丕)顯考文王。
    天亡簋,《銘圖》05303

    ③對揚天子不(丕)𫠭(丕)魯休。
    師𡘇父鼎,《銘圖》02476
  4. 名:人名,「子不」。人名用字,「不壽」「不𡢁」。
  5. 名:国名。=邳
    ①不(邳)白(伯)夏子自乍(作)𬯚(尊)罍。
    邳伯夏子缶,《銘圖》14089-14090
  6. 「不廷」「不廷方」:朝廷に出ない国。=不庭
    ①𨨋(鎮)静(靖)不廷
    秦公簋,《銘圖》05370

    ②率褱(懷)不廷方
    毛公鼎,《銘圖》02518

楚簡

否定詞と「大いに」の用法がほとんどである。
上博四《曹沫之陣》64「𫊟(吾)言氏不。」の解釈は一定しない。上博三《周易・蹇》35「九五:大訐(蹇)不(朋)棶(來)。」、今本は「大蹇朋來」に作り、解釈は一定しない。
  1. 副:ず、あらず。否定詞。
    憖。
    包山《集箸言》15反

    ②民從上之命。
    郭店《成之聞之》2

    ③曷今東恙(祥)不章(彰)?
    清華壹《尹至》3
  2. 形:大きい。大いに。=丕
    ①《君奭》曰:“唯髟(冒)不(丕)單爯(稱)惪(德)。”
    郭店《成之聞之》22

    ②《
    上博一《孔子詩論》6
    剌(烈)文》曰:“乍{亡}競隹(維)人,不(丕)㬎(顯)隹(維)惪(德)。”
    ③遠土不(丕)承。
    清華壹《皇門》6

釋形

《詩經・小雅・常棣》「常棣之華,鄂不韡韡。」鄭玄箋「承華者曰鄂,不當作柎。柎,鄂足也。古聲不、柎同也。」より、「柎」の初文で、花萼の象形とする説が定説となっている(羅振玉、王国維、郭沫若、徐中舒)。
また、「茇」の初文で、根の象形とする説がある(趙誠、于省吾、姚孝遂、陳世輝、何琳儀)。

釋詞

王力は否定詞「不」「否」「弗」を同源詞とする。

張建銘、殷寄明などは以下の諸字を同源とする。「不」には否定詞を除くと「大きい」の義があり、今「丕」声字が多くこれをうけつぐ。
  • 丕,《説文》一篇上《一部》「大也。」(1上)
  • 伾,《説文》八篇上《人部》「有力也。」(160下)
  • 魾,《説文》十一篇下《魚部》「大鱯也。」(243下)
「咅」声字には「増加する」義と「破れる」義が見られる。
  • 倍,《集韻》去聲《隊韻》補妹切「加也。」(531)
  • 培,《廣韻》平聲《灰韻》薄回切「益也。」(98)
  • 陪,《玉篇》卷二十二《阜部》「加也,益也。」(418)
  • 剖,《廣韻》上聲《厚韻》普后切「判也,破也。」(327)
  • 掊,《莊子・逍遙游》陸德明釋文「掊,司馬云:“擊破也。”」
「不」声字には「始まる」「盛りになる」「栄える」義が見られる。
  • 坏,《説文》十三篇下《土部》「丘再成者也。」(290下)
  • 肧,《説文》四篇下《肉部》「婦孕一月也。」(81下)
  • 芣,《説文》一篇下《艸部》「華盛。」(16上)
以上より「大きい」「栄える」等を原義とする(PIE *bhel-に近い)。「芣」は字形との関係も伺える。否定の用法は仮借と考えられる。