2019/11/19

泉屋博古館分館でやってる「金文展」に行った

泉屋博古館分館で11月9日から開催されている「金文展」に行ってきた。

僕が見てきたのは、開催前日に行われた「ブロガー内覧会」というもので、ようは記者は先行して見ていいよというヤツである。そういうわけで本来撮影禁止のところ、許可を得て撮影ができたので、ここでレポートしたい。


2018/11/21

「労(勞)」の字源

2018年11月18日付日本経済新聞の以下の記事に「労」についての記述があった。

(遊遊漢字学)二宮尊徳像なき時代の「勤労」 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO37843480W8A111C1BC8000/
「労」(本来の字形は「勞」)は二つの《火》と《冖》(家の屋根)と《力》からできており、その解釈にはいくつかの説があるが、一説に屋根が火で燃える時に人が出す「火事場の馬鹿力」の意味から、「大きな力を出して働く」ことだという。
この記事を書いた阿辻氏が編集に加わっている『新字源』改訂新版には以下のようにある。
力と、熒(𤇾は省略形。家が燃える意)から成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す。
上記の説は《説文》段注をもとにしたものと思われるが、誤りである。

このほか、インターネットサイトや字書・辞典等で「労(勞)」の字源を「熒+力」としているものが多いが、「労(勞)」は「熒」とは無関係であり、みな誤りである。

2018/09/08

「函数」が音訳というデマと、本当の語源

数学用語「function」は、中国語で「函数」と翻訳された。この語は日本にも輸入され、現在も日中で使われている(ただし現在日本では「関数」の表記が主流)。

この「函数」は、「function」に近い音の字を当てて作った語であるという説があるが、これにはいくつかの不審な点があり、戦後の日本で生まれた俗説であると思われる。

「函数」という語は音訳ではなく、「ある変数が含まれる」という19世紀半ばの数学界における函数の認識を踏まえて作られた言葉である。


2018/08/20

「柿/杮(かき/こけら)」の書き分けは絶対ではない

漢字には、「シ(音)、かき(訓)」と読む字と、「ハイ(音)、こけら(訓)」と読む字がある。字源も表す語も異なる、別字種である。

本やTV番組やインターネット等で、この両字について「「かき」の旁は5画で、「こけら」の旁は縦棒を貫いて4画で書く」のだという意見が存在する。両字を書くときに、この書き分けをすることは問題ない
しかし、さらに、「上記の書き分けをしなければ誤りである」つまり「旁を5画で書くのが「かき」で、旁を4画で書くのが「こけら」である」という考えも存在している。が、このような「書き分けなければならない」という考えは不適である
世の中には「漢字は、各1字が、それぞれ別のたった1つの字体をもつ」のような考え方が強かれ弱かれ存在し(この考え方こそが誤りである)、「かき」と「こけら」の書き分けもその考えから生まれたものだと思われる。

「かき」と「こけら」の書き分け問題は、「I(大文字アイ)」と「l(小文字エル)」のそれに似る。
「大文字アイ」と「小文字エル」は基本的には両方とも縦棒1本であるが、長さを変えたり、端部を曲げたり、あるいは上や下に短い横棒(セリフ)をくっつけたりして区別することもある。このような区別(書き分け)は、人によって異なり、「こう書かなければならない」といったルールは存在しない。「「かき」の旁を5画にして「こけら」の旁を4画にする」というのも、書き方で両字を区別する方策の一例でしかない。

中国の印刷字体を見るとたしかに「旁5画=「かき」、旁4画=「こけら」」が規範となっているが、日本にはそのような決まりはない。「かき」は常用漢字なので(少なくとも漢字テストにおいては)旁5画で書くべき字であると思われるが、「こけら」は表外字なので基準はなく、「かき」同様に旁5画で書いても誤りとはいえない。


2018/07/22

「解」は「牛を切り分けること」ではない【遊遊漢字学】

2018年7月22日付日本経済新聞の以下の記事に「解」についての記述があった。

(遊遊漢字学)「解」とは牛を切り分けること 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33207400Q8A720C1BC8000/
「解」は左に《角》(ツノ)があり、右側は《刀》と《牛》である。つまり牛のツノを刀で切り落としているさまを表していて、牛を解体することから、広く一般的にものを切り分けることを「分解」というようになった。
この記述は誤りである。

たしかに「解」字は「角+刀+牛」からなるが、だからといって{解}が【牛の角を刀で切り分けること】であるわけではない。そんな意味の狭い言葉は不自然である。「食指が動く」の故事で知られる《左傳・宣公四年》に「宰夫將黿。」とあるように、「解」字は古籍において牛以外にも普通に使われている。《説文》の説明も単純に「解,判也。」であり、漢代の学者も【牛の角を刀で切り分けること】が本義であるとは考えていない。
記事では【牛の角を刀で切り分けること】から引伸して【切り分ける】の意味になったと言いたいようだが、そうではなく、{解}は最初から【分ける、解く】といった意味である。【分ける】という意味を表示するのに、牛の角を分解する様子を描いたにすぎない。

表意字体であっても、字形によって意味を過不足なく完全に表現するのは不可能である。ゆえに字形はそのようには作られていない。これはピクトグラムやアイコンでも同じことで、男子トイレは「直立した男性」の絵で表され、添付ファイルは「クリップ」の絵で表されるように、その見た目は「意味を過不足なく説明する」作用があるのではなく、「意味を暗示させる」作用をもっているのである。暗示方法にはいろいろあるが(ところでトイレのアイコンはトイレを連想させるものが一切ないという点で特徴的だと思う)、漢字においては、「解」字に見られるような具体的事物の様子でもって意味を表現するものが多い。よって、【分ける】義を表すのに牛の角を分解する様子を用いるように、しばしば字形が見せる情景は実際の詞語の意味に比べてより細かく狭くなる。このような現象を「形局義通」という。
「形局義通」現象については早くから指摘がされており、清の学者である陳澧は《東塾讀書記・小學》において「字義不專屬一物,而字形則畫一物。」と述べ、【高い】という意味を高楼の象形で表した「高」字などを例に挙げている。その後、沈兼士《國語問題之歷史的研究》等の論文のほか、裘錫圭《文字學概要》や蘇建洲《新訓詁學》といった初学者向けの入門書においても、陳澧の一節とともに複数の実例を挙げて「形局義通」現象を解説し、字形が示す情報を言葉の意味と誤解しないよう注意すべきであるとしている。
このように「形局義通」現象は古文字学・訓詁学の基本的事項である。これを理解していないと、「{解}は【牛の角を刀で切り分ける】という意味から【分ける】という意味を派生した」「{月}はもともと【三日月】という意味で、後に月一般を指すようになった」「{木}はもともと【左右に枝が一本ずつ出て、根は左中右に計三本生えている木】という意味だった」等の勘違いをしてしまう。このような勘違いも「望文生義」の一種といえよう(望文生義とは、文章を読む際に字面から勝手に意味を想像して誤った読解をすることで、訓詁学等の分野で気をつけるべきこととされているものの一つである)。

なお、現在確認できる出土文字資料においては、「刀」に従う「解」字は戦国晩期になって初めて現れる字である。殷周代の甲骨金文に「𦥑+角+牛」からなる字があり、その字体から一般にこの字が「解」の初文であるとされている。そのため「刀」は後に追加された意符(義符)である可能性があり、そうであれば字形の解釈としても「切り分ける」は誤りとなる。

2018/07/16

「辛」の字源は「入れ墨に用いる針」ではない

漢字カフェ」内の以下の記事に「辛」字の字源についての記述があった。

あつじ所長の漢字漫談35 激辛もほどほどに | コラム | 日常に“学び”をプラス 漢字カフェ
http://www.kanjicafe.jp/detail/8099.html
 トウガラシなどのからい味を「辛」という漢字で表現しますが、この「辛」は、もともと入れ墨を入れるのに使う針をかたどった文字でした。
 この入れ墨を入れるために皮膚を傷つけるのに使われるのが「辛」という針で、そこから「辛」が「罪」という意味をあらわすようになりました。このように「辛」が犯罪人に対する刑罰の意味に使われ、そこから「つらい」という意味をあらわし、そこからさらに意味が拡張したのが、味覚の「からさ」なのです。
この、「辛」字の本義が「入れ墨を入れるのに使う針」であるというのは、文字学的説得力を持たない、誤った推論と根拠のない憶測による説である。


2018/03/05

誤りだらけのサイト『漢字の音符』から学ぶ古文字考釈の心得

古文字に関して、非学術的ないわゆるトンデモを語るサイトは幾多あるが、『漢字の音符』はそのうちの代表的なものである。しかし、何がおかしいのかを検証することで逆にどうすべきかを学ぶことに価値があると考え、いま敢えていくつかの指摘を行いたいと思う。
ここでは『音符 「襄ジョウ」  <ゆたかな耕作地>』という記事を例にして、このサイトが犯している「古文字考釈」に対する誤りを述べる。