2018/03/05

誤りだらけのサイト『漢字の音符』から学ぶ古文字考釈の心得

古文字に関して、非学術的ないわゆるトンデモを語るサイトは幾多あるが、『漢字の音符』はそのうちの代表的なものである。しかし、何がおかしいのかを検証することで逆にどうすべきかを学ぶことに価値があると考え、いま敢えていくつかの指摘を行いたいと思う。
ここでは『音符 「襄ジョウ」  <ゆたかな耕作地>』という記事を例にして、このサイトが犯している「古文字考釈」に対する誤りを述べる。


0.そもそも古文字考釈とは

林澐は古文字学と古文字考釈について以下のように述べる。
古文字学の研究対象は待識先秦文字で、その仕事は未知或いは誤認されている先秦文字を読み取ることである。[1]
古文字学が生まれた理由は、小篆とは異なる先秦文字を読む必要があるためである。……研究の直接の目的は、第一に未解読の先秦文字が後代のどの字にあたるかを解明すること、第二に識字を基礎として文章の表す意味を理解し、そして字が実際に文中で用いられている時の具体的な意味を確定させることである。この二つを一つにして、一般に「考釈」と呼ぶ。[2]
つまり古文字考釈とは、読めない古文字について、対応する後代の字を解明し、その意味を解読することである。

1.本末転倒な考釈

記事には
私はこれまで襄の金文の字形を解釈できず、篆文だけで解字していたが、このたび仮説ではあるが字形解釈ができたので、甲骨文から金文・篆文を含む字形の流れをたどってみたい。
とあり、その次に字形を並べて、その字形が何に見えるかを説明している。つまり、「襄」の古文字の字形が与えられたのでそれが何に見えるかを考えてみた、ということであろうが、これはおかしなことである。
このような「最初から後代の文字と対応された解読済みの古文字が与えられる」という状況はありえない。例えば古文字が鋳込まれた青銅器が出土したとき、その古文字を見ても最初は読めないわけで、それを読むために古文字考釈が必要なのである。古文字が鋳込まれた青銅器が出土したときに、最初からその文章が読めるというのはありえないし、もしそうだとしても、既に読める字を何と読むのかなどと考えたりはしない。
まず読めない古文字が与えられ、それを解読するのが古文字考釈である。与えられた解読済みの古文字が何に見えるかを考えるのは、本末転倒であり無意味な行為である


散氏盤及び薛侯盤の△字は当初読めなかった字である。そこで、まず1804年に阮元がこの字を「⿺克攴」と隷定して「剋」と解釈し(《積古齋鐘鼎彝器款識》卷八第8頁)、1800年代にはこれが定説となっていた(吴大瀓《説文古籀補》卷七第4頁、等)。一方孫詒讓はこれを否定して「⿰土㪤」と解釈した(《古籀餘論》卷三第52頁)。1902年には劉心源が、蘇夫人匜の▲字とともに、この字を初めて「襄」と解釈した(《奇觚室吉金文述》卷八第27頁)。その後、方濬益が「夔」とし(《綴遺齋彝器款識考釋》卷七第6頁)、高田忠周が「撫」とする(《古籀篇》卷五十四第35頁)などの異説も含む後代の古文字考釈の結果、最終的に現在ではこの字を「襄」とするのが定説となっているのである。

2.研究成果の無視

以上のように、ある古文字が解読されているのは、その古文字を研究し解読した研究者がいるからである。与えられた未解読の古文字について、研究者はさまざまな根拠を挙げてAと解釈し、また別の研究者は別の根拠を挙げてBと解釈し、さらに別の研究者がそれらの根拠を比較した上で別の根拠を挙げてAに賛同し、……というように、研究成果つまり挙げられた根拠達を戦わせた積み重ねによって、古文字は解読されているのである。
古文字の字形というのはそういった古文字考釈に欠かせない根拠の一つである。特に散氏盤の△字は固有名詞として用いられているため字義・文例からの考釈は難しく、上に挙げた「剋」「⿰土㪤」「襄」等と解釈する説はみな字形分析を通して得た結論である。劉心源はこの字形を「襄」と解釈できる根拠として、「𤕦」の説文小篆及び籀文がこの古文字が変化したものと考えられること、その字形が《説文》の「解衣而耕謂之襄」を表わしていると考えられることを挙げている。

劉心源の造字本義の解釈には異説があるものの、小篆との字形比較については非常に納得できる根拠であり、「襄」説を唱える後代の学者はみなこの字形比較を根拠に挙げている[3]。しかし、記事には
篆文は全く様相がことなる。金文との共通項は衣だけ。衣の中は上から、口二つ・逆S字の中に工印(呪具)、その右に爻(まじわる)がある。S印は寿の甲骨文では田のあぜ道を意味した。これらを総合すると、田のあぜ道で呪具の工をもち、口々に呪文をとなえ、まじわらせ(爻)、何かを祓う意であろう。
とあり、金文と説文小篆の字形の繋がりを否定している。説文小篆の「襄」の字形を金文字形の変化した形と解釈しなければ、金文字形を「襄」と解釈する根拠は失われてしまうにもかかわらず、この記事は金文字形を無根拠に「襄」と解釈しているのである。それはなんらかの字書に載っている字形表だけ眺めて、「襄」とする説の結果だけを抜き取り、その根拠を見ていないからであろう。研究というのは積み重ねであり、今までの研究過程とその成果を無視(しかも一部だけをつまみ食い)した独自研究は、非学術的であり無価値な行為である

また、
甲骨文は皿の略体を上にのせた人の形。意味は地名で、そこは田猟地(狩猟地)だという[甲骨文字辞典]。
と無批判に『甲骨文字辞典』の説を流用している箇所にも同じことが言える(「意味は地名」とする研究過程の検証が必要であるのに、「地名である」という結果だけをつまみ食いしている)。

3.「看図説話」

字が作られた時に表わしていた意味、字形が直接表わしている意味を「本義」という[4]。象形文字であれば、その象った元となった事物が本義ということになる。例えば「木」字は一本の樹木の形であるから、【樹木(き tree)】が本義といえそうである。しかし、厳密に言えば、「字」と対応しているのは「意味」ではなく、「詞語(言葉)」である。例えば、「木」字は、/mù(モク・ボク)/と読んで【樹木(き tree)】を表す{木}という詞語(言葉)と対応しており、また「樹」字は、/shù(シュ・ジュ)/と読んで【樹木(き tree)】を表す{樹}という詞語に対応している。そして、「木」字が{樹}という詞語を、或いは「樹」字が{木}という詞語を表すことがないことは、字と対応するのが意味ではなく詞語であることを証明している。また逆に言えば、「木」字は{木}という語と対応しているために{木}が表す意味以外の意味は表さない。「木」は一本の樹木の象形であるが、【一本の樹木】という意味には使われないのである。
別の例を出せば、「月」という字の古文字の見た目は明らかに「三日月の絵」である。しかし、「月」字が【三日月】という意味に用いられることはない。なぜなら「月」字が表わしているのは{月}という語であり、その{月}に【三日月】という意味はないからである。目に見える「字形」自体は絵であっても、それが「絵文字」ではなく「語言文字」である以上、それが実際に使われる際はある詞語と結びついており、絵とは役割が異なるのである(一方で例えば「月」字と全く同形の絵文字があったとしてもそれは絵文字なので【月】【三日月】の両方に用いてもおかしくない)。ゆえに「月」字の「字形」はただ「{月}の表意字」でしかなく、「三日月の象形」と言うのは厳密には正しくない。
古文字考釈における「本義」の考察には以上の認識が必要である。

そもそも古文字考釈においてなぜ本義を考察するのかといえば、その字の解読に必要な根拠となりえるからである。上で述べた、劉心源が△字を「襄」と解釈する根拠として、字形が《説文》の「解衣而耕謂之襄」を表わしていると考えられることを挙げている、というのがそれで、本義を考察することで字を解読しているのである。陳劍は字形からの古文字考釈、特に字の本義を考察することを「拠形釈字」と呼んでいるが、「拠形釈字」は「形を根拠にして字を解読する」ということである(字を根拠に形を語るのが本末転倒であることは既に述べた)。陳劍はさらに「拠形釈字」と「看図説話」とは異なることを強調している[5]。「看図説話」とは「絵」をみてストーリーを語るということであるが、上で述べたように「文字」と「絵」は役割が異なる。
記事に、甲骨文の字形について
皿は、おそらく窪んだ地形を意味し、これに人がついて窪地にすむ人の意であろう。
とあるのはまさに「看図説話」で、字形の見た目から意味を想像しているだけであり、字が対応している詞語はなんなのかということには全く触れていない。「この字の本義は○○だ、だから、この字は○字だ」(或いは「他の根拠よりこの字は○字だ、だから、この字の本義はおそらく○○だ」)という論理展開が自然であるが、「この字の本義は【窪地にすむ人】だ」ということが何にもつながっていない。むしろ、この字が【窪地にすむ人】という意味ならば、{襄}(或いはそれと近音の詞)にそんな意味はないので、この字は「襄」ではないということの根拠になり得る。記事には字形解釈のすぐ下に字義が載っているので読めばすぐに矛盾が目につく。
「本義は【窪地にすむ人】だったが、早くに失われた」という主張も不可能ではないが、それに対する根拠は示されていない。そもそもそういう主張が認められるのなら、「本義は【皿を頭に載せた人】だ」という主張も認めて良いことになり、なんでもありになってしまう。根拠なき想像は当然学術的に認められるものではない。詞語と対応しない意味を、字形の見た目から作り出すのは非学術的で不自然な行為である

4.結論

以上述べた通り、『漢字の音符』の記事はとても学術的に認められるようなものではなく、そもそも思考の方法から誤っていると言わざるを得ないものである。なお、この他にも誤りは多く存在するが、今回は根本的な部分の指摘にとどめた。
近年ますます古文字学は高度化し、入門のハードルが高まっている。それゆえか、生半可な知識で非学術的な言説を語る者、及びそのような言説を無批判に信じ込んでしまう者は後を絶たない。したがって全ての古文字学に触れる者への戒めとしていまこれを記した。

最後に古文字考釈にあたって非常に役立つ概論書および論文を紹介する。
唐蘭《古文字學導論》(增訂本),齊魯書社,1981年。
劉釗《古文字構形學》(修訂本),福建人民出版社,2011年。
林澐《古文字學簡論》,中華書局,2012年。
裘錫圭《文字學概要》(修訂本),商務印書館,2013年。
陳劍《〈釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字〉導讀》,裘錫圭原著《中西學術名篇精讀・裘錫圭卷》,中西書局,2015年。




[1]林澐《古文字學簡論》,中華書局,2012年,第5頁。
[2]林澐《古文字學簡論》,第8-9頁。
[3]丁佛言《説文古籀補補》卷二第5頁、郭沫若《兩周金文辭大系攷釋》第189頁、于省吾《甲骨文字釋林》中卷第132頁、等。また張世超等《金文形義通解》第210-211頁、何琳儀《戰國古文字典》上册第689頁、黄德寬《古文字譜系疏證》第二册第1878頁、李学勤《字源》上册第100頁、季旭昇《説文新證》第103頁、等。
[4]唐蘭《古文字學導論》(增訂本),齊魯書社,1981年,第259-260頁。
[5]陳劍《〈釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字〉導讀》,裘錫圭原著《中西學術名篇精讀・裘錫圭卷》,中西書局,2015年,第267頁。

4 件のコメント:

  1. 大変参考になりました。

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  2. ブログ「漢字の音符」を編集している石沢誠司と申します。私のサイト、特に「襄」に専門的な見地からご意見をいただき誠にありがとうございます。先生のご指摘されたことは最もです。私は前から金文についてもっと勉強したいと思っておりますが、日本語ではよい本がありませんので困っていました。先生は金文について何かまとまった文献は出されていますか?私は中国語は少し読めますが、最も基本的な金文の字典を教えていただきたいと思っております。(1冊持っていますが、字形中心であまり参考になりません)今後ともご指導いただきたいので、ご連絡をいただければ幸いです。
    私のメールアドレスは、seijiishizawa@yahoo.co.jp です。よろしくお願いいたします。
    追伸 なお、私が「襄」の衣を、種をいれる袋と推定したことはどう思われますか?

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    1. コメントありがとうございます。
      はじめに、申し訳ありませんが、メールでのやりとりは致しかねます。

      金文について勉強するための参考書が知りたいとのことですが、具体的に何を知りたいかによって変わります。
      文字の字形表であれば、以下があります。
      ――董蓮池主編:《新金文編》,作家出版社,2011年。
      ――江學旺編著:《西周文字字形表》,上海古籍出版社,2017年。
      ――張俊成編著:《西周金文字編》,上海古籍出版社,2018年。
      各一字の用法をまとめた字典には、以下のものがあります。
      ――方述鑫等編著:《甲骨金文字典》,巴蜀書社,1993年。
      ――張世超等:《金文形義通解》,中文出版社,1996年。
      ――王文耀編著:《簡明金文詞典》,上海辭書出版社,1998年。
      文章を通して読むための入門書には以下があります。
      ――王輝:《商周金文》,文物出版社,2006年。
      ――凡國棟:《金文讀本》,鳳凰出版社,2017年。
      過去の研究成果が知りたいときは以下が役に立ちます。
      ――周法高、張日昇編纂:《金文詁林》,香港中文大學出版社,1975年。
      ――周法高編撰:《金文詁林補》,中央研究院歷史語言研究所,1985年。
      ――董蓮池編著:《商周金文辭彙釋》,作家出版社,2013年。


      「襄」を声符とする字に「囊」字があり、「ふくろ」「つつむ」などの意味があります。しかし、「種をいれる袋」という限定的な意味はありません。
      意符「衣」は、その字が表しているのが衣服や布類に関連するということを想起させるもので、具体的な事物を表しているわけではありません。

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  3. 金文についての参考書を教えていただきありがとうございました。

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