2018/07/22

「解」は「牛を切り分けること」ではない【遊遊漢字学】

2018年7月22日付日本経済新聞の以下の記事に「解」についての記述があった。

(遊遊漢字学)「解」とは牛を切り分けること 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33207400Q8A720C1BC8000/
「解」は左に《角》(ツノ)があり、右側は《刀》と《牛》である。つまり牛のツノを刀で切り落としているさまを表していて、牛を解体することから、広く一般的にものを切り分けることを「分解」というようになった。
この記述は誤りである。

たしかに「解」字は「角+刀+牛」からなるが、だからといって{解}が【牛の角を刀で切り分けること】であるわけではない。そんな意味の狭い言葉は不自然である。「食指が動く」の故事で知られる《左傳・宣公四年》に「宰夫將黿。」とあるように、「解」字は古籍において牛以外にも普通に使われている。《説文》の説明も単純に「解,判也。」であり、漢代の学者も【牛の角を刀で切り分けること】が本義であるとは考えていない。
記事では【牛の角を刀で切り分けること】から引伸して【切り分ける】の意味になったと言いたいようだが、そうではなく、{解}は最初から【分ける、解く】といった意味である。【分ける】という意味を表示するのに、牛の角を分解する様子を描いたにすぎない。

表意字体であっても、字形によって意味を過不足なく完全に表現するのは不可能である。ゆえに字形はそのようには作られていない。これはピクトグラムやアイコンでも同じことで、男子トイレは「直立した男性」の絵で表され、添付ファイルは「クリップ」の絵で表されるように、その見た目は「意味を過不足なく説明する」作用があるのではなく、「意味を暗示させる」作用をもっているのである。暗示方法にはいろいろあるが(ところでトイレのアイコンはトイレを連想させるものが一切ないという点で特徴的だと思う)、漢字においては、「解」字に見られるような具体的事物の様子でもって意味を表現するものが多い。よって、【分ける】義を表すのに牛の角を分解する様子を用いるように、しばしば字形が見せる情景は実際の詞語の意味に比べてより細かく狭くなる。このような現象を「形局義通」という。
「形局義通」現象については早くから指摘がされており、清の学者である陳澧は《東塾讀書記・小學》において「字義不專屬一物,而字形則畫一物。」と述べ、【高い】という意味を高楼の象形で表した「高」字などを例に挙げている。その後、沈兼士《國語問題之歷史的研究》等の論文のほか、裘錫圭《文字學概要》や蘇建洲《新訓詁學》といった初学者向けの入門書においても、陳澧の一節とともに複数の実例を挙げて「形局義通」現象を解説し、字形が示す情報を言葉の意味と誤解しないよう注意すべきであるとしている。
このように「形局義通」現象は古文字学・訓詁学の基本的事項である。これを理解していないと、「{解}は【牛の角を刀で切り分ける】という意味から【分ける】という意味を派生した」「{月}はもともと【三日月】という意味で、後に月一般を指すようになった」「{木}はもともと【左右に枝が一本ずつ出て、根は左中右に計三本生えている木】という意味だった」等の勘違いをしてしまう。このような勘違いも「望文生義」の一種といえよう(望文生義とは、文章を読む際に字面から勝手に意味を想像して誤った読解をすることで、訓詁学等の分野で気をつけるべきこととされているものの一つである)。

なお、現在確認できる出土文字資料においては、「刀」に従う「解」字は戦国晩期になって初めて現れる字である。殷周代の甲骨金文に「𦥑+角+牛」からなる字があり、その字体から一般にこの字が「解」の初文であるとされている。そのため「刀」は後に追加された意符(義符)である可能性があり、そうであれば字形の解釈としても「切り分ける」は誤りとなる。

3 件のコメント:

  1. 阿辻氏は説文解字の専門家なので最近の出土資料にアーアーキコエナイしているのは有名です。

    ところで最近のバクスター氏等による上古音再構は目覚しいものがあり、漢字研究を大きく変えるのは確実に思えます。
    そこで今度そちらの記事もよろしくお願いいたします。

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    1. すみませんが、書きたい内容があるならご自分でお願いします。

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  2. 漢字はその表している字形から解釈するのが第一歩です。「解」字は「角+刀+牛」からなりますが、角・刀・牛の3字で何を表しているかを考察することが大事です。私はこの3字で、「牛の角を刀で切り落としているさま(阿辻)」だけでは、不十分であると考えます。
     この「解」は牛の解体を表してます。そのためには牛の解体が実際にどのように行われるかを考察しなければなりません。以下は、私が文献などで調べた牛の解体の順序です。
    ① 牛の眉間に特殊なハンマーで打撃を与え牛を気絶させ、牛の首をナイフで割き動脈を切って失血死させる。
    ② 上記で割いた箇所からナイフを横にいれ、牛の頭部を切り取る。
    ③ 牛を仰向けにし腹に軽くナイフをいれ皮を剥いでゆく。この作業の途中で、背中の皮を剥ぐために、後ろ脚を吊り上げて、すべての皮を剥ぐ。
    ④ 牛の腹の部分をタテに割いて内臓を取り出し、下においた容器で受ける。
    ⑤ 吊り上げた両脚の間から鋸で引き下ろしてゆく(途中から斧を使うこともある)。この作業は背割りといって、牛の背骨を二つにわけてゆく作業である。
    ⑥ こうして、背割りが完了すると、吊るされた牛の半身ができる。ここで屠畜の作業は完了し、屠畜場から肉屋に運ばれ、ここでさらに肉が解体されて各部分に分けられる。

     この解体工程のなかで、解の字は、②の動作を表していると考えます。ここで「角」は角に代表される牛の頭部を表しています。刀はナイフですから、ナイフで牛の頭を切り取る作業をさします。
    この解体作業からは、さらに別の字ができています。⑤の作業は牛を半分に分ける作業ですから「八(分ける)+牛」からなる「半」です。半の字は、牛の背割りを表しています。さらに、⑥の背割りされた牛が、「月(にく)+半(背割りした牛)」の胖です。牛の半身です。
     以上が字形の示す意味です。この字形の連想・暗示から、もとの字形を超えて多くの意味が派生するのはもちろんのことです。これらの字形には当時の生活様式が反映されています。古い字形を解釈する場合、当時の人々の民俗を復元しながら考察することが大切だと思います。(石沢誠司:「漢字の音符」編集者)

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