(遊遊漢字学)二宮尊徳像なき時代の「勤労」 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO37843480W8A111C1BC8000/
「労」(本来の字形は「勞」)は二つの《火》と《冖》(家の屋根)と《力》からできており、その解釈にはいくつかの説があるが、一説に屋根が火で燃える時に人が出す「火事場の馬鹿力」の意味から、「大きな力を出して働く」ことだという。この記事を書いた阿辻氏が編集に加わっている『新字源』改訂新版には以下のようにある。
力と、熒(𤇾は省略形。家が燃える意)から成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す。上記の説は《説文》段注をもとにしたものと思われるが、誤りである。
このほか、インターネットサイトや字書・辞典等で「労(勞)」の字源を「熒+力」としているものが多いが、「労(勞)」は「熒」とは無関係であり、みな誤りである。
一、春秋戦国文字中の「勞」字

斉国の春秋金文にA字が見られる。A字は「炏+衣」からなり、「𬡤」と隷定できる。
- 𩍂弔又成A于齊邦
𦅫[1]鎛(《銘圖》15828);春中
- 女巩A朕行師
叔夷鎛(《銘圖》15829);春晩
- 堇A其政事
叔夷鎛(《銘圖》15829);春晩
「堇A」は戦国竹簡にも見られる。
- 昔公堇A王[⿱爪家]
清華壹《金縢》11;戰晩
- 堇A王邦王[⿱爪家]
清華壹《皇門》5;戰晩
また楚簡本《緇衣》中にもA字が見られる。
- 下難智則君倀(長)A
郭店《緇衣》6;戰晩
- 則君不A
郭店《緇衣》7;戰晩
- 則君不A
上博一《緇衣》4;戰晩
- 卒A百眚
郭店《緇衣》9;戰晩
- 卒A百眚
上博一《緇衣》6;戰晩
したがって、A字は間違いなく「勞」字の古文字である。
二、「心」に従う「勞」の異体字
「勞」に近形の字に、「心」に従うB字がある。
- B1其[⿰爿夃]𢗞之力敢單也
郭店《六德》16;戰晩
- 㠯㥑B2邦家
中山王鼎(《銘圖》02517);戰晩
B2はB1の「衣」を省略した字体、あるいはA字の「衣」を「心」に換えた字と思われ、趙誠が「勞」と読んだ[7]のが正しい。
「労心」「憂労」「愁労」といった熟語が有るように、{勞}は心に関する意味を持ち、B字を「勞」の異体字と考えるのは合理的である。証拠に、「勞」字の説文古文「𢥒」の下部はB字同様に「心」に従っている。
知っての通り、{勞}は「勤労」「労働」等、力(作業・労務)に関する意味も持っている。「勞」はB字の「心」を「力」に換えた字と考えられる。
B3「⿱𤇾心」字は後漢《孟孝琚碑》にある字で、一般に「勞」の異体字と考えられている[8]。本文でもこの説に賛同する。
B3字及び「勞」の中部の「冖」は、B1字の「衣」の下部を省略したものではないだろうか。或いは、B2字及びB2の「心」を「力」に換えた「⿱炏力」字が、近形の「營」「榮」等のいわゆる「熒」声系字(これらの字の上部と「勞」の上部は無関係である。後述)と同化して、「冖」が追加されたとも考えられる。
三、甲骨文中の「勞」字
殷墟甲骨文中にC字がある。
C字の字体はA字とよく似ており、違いはC字の「衣」の内部に小点があることのみである。またC字は先述した説文古文の字体とも極めて似通っている。したがってC字もまた「勞」字と考えられる[9]。
C字は数十例見られるが、みな地名「𠂤C」に用いられている[10]。
- 辛丑卜,行,貞:今夕亡憂。在𠂤C。
壬寅卜,行,貞:今夕亡憂。在二月。在𠂤C卜。
癸卯卜,行,貞:今夕亡憂。在𠂤C卜。
甲辰卜,行,貞:今夕亡憂。在二月。在𠂤C卜。
乙巳卜,行,貞:今夕亡憂。在𠂤C卜。
丙午卜,行,貞:今夕亡憂。在二月。在𠂤寮卜。
□□卜,行,[貞:今]夕[亡]憂。《合補》8091;出組 - 貞:亡吝。在𠂤C卜。
癸丑卜,行,貞:王賓夕祼亡憂。在二月。一
貞:亡吝。在𠂤C卜。《合集》24307;出組 - 甲寅卜,旅,貞:今夕亡憂。在二月。在𠂤C卜。
辛□卜,□,貞〼《合集》24316;出組
また殷墟甲骨文中にD字が見られる。

- [乙丑]卜,[王]。在𠂤D卜。
《綴彙》880;出組
- [己]丑貞〼王尋告土方于五示。在D,十月卜。
《屯南》2564;歷組
- 〼在D,十月卜。
《村中南》212;歷組
- □酉貞:王步□[⿰⿱白白山]于D。
《合集》32486;歷組
- 丙寅卜:丁卯子D丁,爯黹圭一、聯九。在■。來狩[自]觴[12]。一二三四五
《花東》480;子組
- 丁卯卜:子D[丁,爯]黹圭[一、聯九]。在■。狩[自]觴。一
《花東》363;子組
D字の例は16を除いてみな武丁期の例である。よってD字が「勞」字の初形といえる。D字は「衣」と小点に従うが、その造字本義は不明。
C字はDを声符・2つの「火」を意符とする形声字で、おそらく「燎」の異体字。「勞」「燎」はともに來母宵部で双声畳韻。「勞」声系字と「尞」声系字の通用例は多く、「澇」は或いは「潦」に作り、「蟧」は或いは「蟟」に作り、「膋」は或いは「膫」に作る。したがってC字の本義を{燎}とするのは合理的である[14]。A字は小点を省略した簡体。
四、「勞」字といわゆる「熒」声系字
「勞」字はしばしば「榮」「營」等の字とともに「熒」の省体に従うと説明される。「榮」「營」等の字の上部は明らかに声符であるが、それらの字音は喉音耕部である一方、「勞」および「犖」「膋」「䝁」の字音は舌音宵部で、声韻ともに大きく異なり、両者を同一視するのは不合理である。「勞」字の上部は先述したようにAの省体であるが、「榮」「營」等の字の上部はそれとは別源である。

いわゆる「熒」声系字は両周金文に多く見られる。「𬊇(熒)」字は2つの「火」の下部から伸びた斜画が交差しており、一般にかがり火・松明の類の象形と考えられている。 「縈」「鎣」などの字もみな「火」の下部が乂形になっており、Aの「火」の下部分とは明らかに異なっている。
したがって、A字の省体である「勞」の上部とかがり火の象形と思われる「熒」等の上部は別個に変化しており、形音とも異なる別の部品である。
五、結論
「勞」字は、「衣+小点」(本義待考)を声符・2つの「火」を意符とする形声字「𬡤」(本義は{燎})の下部を「力」に換えた字である。 また上部の「𤇾」は、かがり火の象形と思われる「𬊇」の変形である「榮」「營」等の字の上部とは無関係である。[1]器主名の字は実際は「𦅫(紷)」ではなく、「國」と読むべき字である。
傅修才《東周山東諸侯國金文整理與研究》,復旦大學2017年博士學位論文,第399-402頁。
[2]楊樹達《積微居金文説(增訂本)・𩍂𦅫鎛跋》,科學出版社1959年,第102頁。
なお、楊樹達より早くには胡石査が「勞」と読んでいる。以下を参照。
吴大澂《愙齋集古録》,1930年涵芬樓影印本(原1918年),第二冊第25頁。
潘祖蔭《攀古樓彝器款識》,1872年滂喜齋木刻本,第二冊第6頁。
孫剛《東周齊系題銘研究》,吉林大學2012年博士學位論文,第9、413-414頁。
[3]以下も参照。
李學勤主編《清華大學藏戰國竹簡(壹)》,中西書局2010年,第158-162、164-172頁。
趙朝陽《出土文獻與〈尚書〉校讀》,吉林大學2018年碩士學位論文,第79-80頁。
[4]以下も参照。
荆門市博物館《郭店楚墓竹簡》,文物出版社1998年,第129-137頁。
馬承源主編《上海博物館藏戰國楚竹書(一)》,上海古籍出版社2001年,第178-181頁。
劉釗《郭店楚簡校釋・緇衣》,福建人民出版社2003年,第53頁。
虞萬里《上博館藏楚竹書〈緇衣〉綜合研究》,武漢大學出版社2009年,第46頁。
鄒濬智《〈上海博物館藏戰國楚竹書(一)・緇衣〉研究》,臺灣師範大學國文研究所2014年碩士學位論文,第62-63頁。
聶富博《簡本〈緇衣〉與傳世本〈緇衣〉異文匯釋》,遼寧師範大學2015年碩士學位論文,第45頁。
[5]詳しくは以下などを参照。
徐在國著《上博楚簡文字聲系(一~八)》,安徽大學出版社2013年,1875-1877頁。
禤健聪《战国楚系简帛用字习惯研究》,科学出版社2017年,第190-191頁。
[6]荆門市博物館《郭店楚墓竹簡》,文物出版社1998年,第187頁。
禤健聪《战国楚系简帛用字习惯研究》,科学出版社2017年,第190-191頁。
[7]趙誠《〈中山壺〉〈中山鼎〉銘文試釋》;吉林大學古文字研究室編《古文字研究》第一輯,中華書局1979年,第257頁。
[8]毛遠明校注《漢魏六朝碑刻校注》,綫裝書局2009年,第一册第64頁。
毛遠明《漢魏六朝碑刻異體字典》,中華書局2014年,第503頁。
[9]蔡哲茂《甲骨綴合集》,樂學書局1999年,第380頁。
季旭昇《從甲骨文説勞字》;中國文字學會編《第十六届中國文字學國際學術研討會論文集》,高雄師範大學國文系2005年。
[10]姚孝遂主編《殷墟甲骨刻辭類纂》,中華書局1989年,第725-726頁。
蔡依静《出組卜王卜辭的整理與研究》,政治大學2012年博士學位論文,第121-127頁。
[11]陳思怡《〈旅順博物館所藏甲骨〉與〈殷墟小屯村中村南甲骨〉文字整理研究》,華東師範大學2017年碩士學位論文,第88-90頁。
李霜潔《殷墟小屯村中村南甲骨刻辭類纂》,復旦大學2014年碩士學位論文,第349頁。
[12]李春桃《释甲骨文中的“觞”》;中国古文字研究会、吉林大学中国古文字研究中心編《古文字研究》第三十二辑,中华书局2018年,第83-89頁。
[13]李学勤《从两条〈花东〉卜辞看殷礼》;《文物中的古文明》,商务印书馆2008年,第127頁。
[14]林義光は早くに「勞」が「燎」の初文であることを指摘している(ただしその字形変化の考えには賛同できない)。
林義光《文源》,1920年:中華書局2012年,卷六第34-35頁(中華書局本第246-247頁)。
林志強等評注《〈文源〉評注》,中國社會科學出版社2017年,第289-290頁。
脚注1について質問させてください。
返信削除『[素命]鎛(斉侯鎛)』の器主名に相当する文字はとても不鮮明で何の字なのか読み取りにくいです。“國”と読むのは、文献の鮑國に比定しているからだと思いますが、それ以外に何か根拠が有るでしょうか?
実際の見た目では、“○”の下に“水”が横倒しになっている文字のように見えます(他にも筆画の様なものが見えますが、素人目にはよく解りません)。文字の見た目だけでは直ちに“國”と判読して良いものか疑問に感じました。
傅修才氏がその様に読む根拠が他に有りましたら、ご教示頂けますでしょうか。
すみません、コメントされていることに気づきませんでした。
削除まだ返信を待っているかどうかわかりませんが一応コメントしておくと、傅修才氏はより鮮明な写真を入手してそう判断したとのことです。
ご回答頂有り難うございます。ずいぶん前に質問した者です。こちらこそ大変なご無礼をしてしまい、申し訳ありませんでした。
返信削除ご回答拝読しました。なるほど、傅修才氏はもっと精細な写真を見たのですね。その写真が何らかの形で公開されていると有り難いですね。最先端の資料にアクセスできない私のような部外者には、判断のしようが無いところが悲しいです。
ご回答いただき、大変有難うございました。今後の益々のご活躍を祈っております。