2019/11/19

泉屋博古館分館でやってる「金文展」に行った

泉屋博古館分館で11月9日から開催されている「金文展」に行ってきた。

僕が見てきたのは、開催前日に行われた「ブロガー内覧会」というもので、ようは記者は先行して見ていいよというヤツである。そういうわけで本来撮影禁止のところ、許可を得て撮影ができたので、ここでレポートしたい。





泉屋博古館分館は、東京メトロ南北線の六本木一丁目駅から一瞬で着く場所にある。
駅周辺にも金文展の宣伝ポスターやのぼりがたくさん貼ってあり、それを辿っていくと着いた。


18時なのでもう暗い。

入ると最初に広いところに出る。


ここにはモニターが設置されており、漢字の歴史を紹介したり金文とはなんぞやというビデオが流れていた。ビデオはあやしげな字源説を紹介したり、大盂鼎を「大孟鼎」と紹介していたり、正直あんまり良い印象はなかった。

展示スペースに入ると青銅器が並んでいた。
各青銅器は器種ごとにまとめられており、おおむね時代順に並んでいる。


まず最初は「商代の金文」として、崎川隆氏が考証した亞長鉞や、いわゆる爵・觚などが並ぶ。


青銅器は銘文が見やすいように陳列されている。これはなかなかない。一般的な青銅器展などでは普通に器の頭部を上に向けているので銘文が見えなかったりするのだが、この金文展ではそういうことはない。(とはいえ鋬内部の銘文はさすがに見づらい)


各器には解説・銘文拓本・釈文・現代語訳文が併記されている。上の写真の左側にある物体は銘文を複製したものである(後述)。

商ゾーンを過ぎると西周ゾーンに入る。


今回の目玉の一つである2器の小克鼎。向かって左の大きほうが京都黒川古文化研究所蔵(《銘圖》02455)で右側の小さい方が台東区書道博物館蔵(《銘圖》02459)のもの。2器が並ぶのは初らしい。ちなみに壁の上部に貼ってある写真は銘文が金色に塗られていて見やすくしてある。


黒川研蔵器は「令」字が抜けていたり、「壽」字が訛体になっているなどの違いがある。


今回の目玉の二つ目、2器の虢叔旅鐘。右の大きい方が台東区書道博物館蔵(《銘圖》15585)、左の小さい方が京都泉屋博古館蔵(《銘圖》15589)のもの。


今回の目玉の三つ目、2器の𡚬鐘。右が京都泉屋博古館蔵(《銘圖》15322)、左の小さい方が台東区書道博物館蔵(《銘圖》15321)のもの。

別の部屋に移動すると春秋・戦国時代コーナー。


者𣱼鐘。

続いて秦漢以降コーナー。


始皇詔権。

以上で青銅器は終わり。


続いて、金文復元鋳造コーナー。
ここでは、金文の作成過程を再現し、その鋳型を陳列している。実際の銘文のレプリカを作成しており、このコーナー以外でも同工法で作成した大量のレプリカが青銅器とともに飾られている。


金文の作成方法は実際のところ不明で、長年いろいろと議論されているが、近年日本では松丸氏の説が定説となっている(らしい)。しかし、この金文展では、泉屋博古館学芸員の山本尭氏がつい最近発表したばかりの新説、鋳型に泥水をつけた筆で書いたという説に基づいている。
山本氏は、実際に自分で作成する過程で松丸氏の説が違うと感じこの説を思いついた(というようなことを言っていたと思う)といい、この説に相当な自信があるようであったが、発表の場には松丸氏も参加しており、議論は大荒れとなったらしい。別のある参加者いわく「神回」であったと。


(これは触っていいレプリカだが常設されていない。12月14日に行われるイベントで展示予定とのこと。)

山本氏の説の根拠を以下にまとめておく。まず前提として2つ。
  • 青銅器を調べると銘文の周りに段差があることがよくある。これは器内側の鋳型のうち銘文が来る部分だけをおおまかにくりぬいておき、後から「銘文プレート」が鋳型にはめこまれたことを表す。
  • 器の曲率に合わせてしっかり銘文プレートを内側の鋳型にはめ込むためには、まだ柔らかい状態の銘文プレートを押し付けるほかない。ゆえにこの時点ではまだ字は書かれていない。
さて、青銅器銘文は陰刻されている(字がへこんでいる)から、鋳型には凸型の字があったということになるが、①直接鋳型に凸型の字を書いた、②(筆で普通に字を書き、その部分を削るなどして作った)「陰刻原型」いういなれば鋳型の鋳型から転写した、の2通り考えられる。しかし「陰刻原型」というものが存在せず、鋳型に直接凸型の字を書いたという根拠が4つ。
  • 上記の工程の後に陰刻原型を使用するにははめ込んだ銘文プレートに陰刻原型を押し付けるしか無いがそれではうまく転写されない(字に厚みがでない)。
  • 陰刻原型の出土例がない。(そもそも文字部分の鋳型の出土例がない)
  • 陰刻原型があったのならば銘文が使い回せるはずだが、殷・西周金文は同一文章の器であっても毎回文字は書き直されており、字形がコピーされた例はない。
  • 銘文の筆画の断面を見るとえぐれた形になっている部分も存在する。
これらを全て説明するのが、銘文プレートに直接泥水を含んだ筆で、字の形に塗り重ねていく方法だという。凸型に塗り重ねていくのであれば工法や断面形状は容易に説明でき、青銅器完成時には字は剥離し残った銘文プレートも鋳型ごと破壊されるので後にはのこらない、と。


最後に見てるだけじゃつまらないよという方のために体験コーナーがあることを紹介しておく。一見ただ「金文を筆で臨書してみよう」というものだが、これは大変興味深い。


ここに手本として掲示されている拓本はみな反転はしていない。二行以上あるものは、竹簡と同じく右から左に向かって行が進んでいく。しかし、上記の山本氏の仮説が正しければ、銘文作成の際には筆で、これらをそのまま反転した字を書いていたということになる。そういう面で、ここに掲載する手本は左右反転しておくべきだったと突っ込んでおきたい。商・西周文字には正反区別がない例も多少はあるが、おおむねその方向は固定的であり、もし金文のために左右反転した字を書いていたのだとしたら、銘文筆者はなかなかのやり手である。

なお、 銘文の作成法に関して「同一文章の器であっても毎回文字は書き直されており、字形がコピーされた例はない」と述べたが、この手本の左から二番目(魚尊,《銘圖》11560)の銘文には、この字形をコピーした銘文を持つ偽器が複数存在している。もしそこまで考えて魚尊を手本として掲示しているのであれば、この体験コーナーはめちゃめちゃ意味深い。



この金文展は12月20日まで開催される。その後2年間改修工事で休館となるので、展示品はもしかしたら長期間見られなくなるかもしれないということで宣伝しておく。
特に、綺麗な図版(器影・拓本とも)や、山本氏の論文が掲載された図録はぜひ購入しておくことをおすすめする。

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