甲骨文とその時期
甲骨文は殷代のものであるが、殷代といっても長い歴史がある。
一般的に語られる殷王朝の歴史は《史記・殷本紀》に基づく。それによれば、天乙が夏王朝を滅ぼして殷王朝を建てたという。天乙の崩御ののち、その子太丁が即位前に死亡したため太丁の弟の外丙が次の殷王となった。このようにして《史記・殷本紀》では殷の最後の王である帝辛の代まで歴史が綴られているが、それをもとにした殷王の系譜は以下のようになる。
これらの殷王の名前は諡号であり、没後につけられたものである。下字は十干からとられる。
甲骨文はこのうち22代武丁から30代帝辛までの間のものである。数字にするとおよそ200年あまりといわれる。200年間甲骨文が不変であったかというと、当然そんなことはなく、当然うつりかわりが存在しているはずである。したがって、甲骨文の中でもさらに時期による分類が可能だと考えられる。では、どのようにすればその時期・あるいは前後関係を特定できるだろうか。
貞人組
前記事でも触れたが、貞人とは占卜を担当した人物のことであり、その名が前辞に記されることもある。《合集》11546を例に挙げる。《合集》11546は一版(一つの甲骨)に20以上の文章が刻まれており、いま挙げるのはその中からいくつか抜粋したものである。
- (1)癸酉卜,争,貞:旬亡𡆥。十月。
(3)癸巳卜,賓,貞:旬亡𡆥。十一月。
(4)癸卯卜,古,貞:旬亡𡆥。十一月。
(5)癸丑卜,[⿱吅口],貞:旬亡𡆥。十二月。
(7)癸酉卜,[⿱⿰工工口],貞:旬亡𡆥。十二月。
(23)癸亥卜,奚,貞:旬亡𡆥。五月。
《合集》11546
貞人の前に、この卜辞について解説する。このタイプの卜辞は「卜旬」といい、旬末(癸日)に行われ、次旬(甲日~癸日の10日間)に災厄がないかを占うものである。例えば(1)は、十月の癸酉の日に行われ、次の甲戌~癸未の10日間について占ったものである。いま(2)と(6)は省略したが、干支と月の記載から(1)~(7)は連続していることがわかる。
この卜辞の「争」「賓」「古」等が貞人の名である。いま賓について考える。「賓貞」とある卜辞は賓が存命中(さらにいうなら賓が貞人の役職を担っていた時期)に書かれたものである。賓というのは一人の人物の名前であるから、「賓貞」の記載がある卜辞は全て同時期それも甲骨時代200年のうちのたかだか数十年程度の範囲内におさめることができる。さらに、賓と同版関係(同じ甲骨に見られる)にある争や古なども賓と同時期の人物であるから、他の「争貞」「古貞」の記載がある卜辞もやはり同じ範囲におさめることができるといえよう。
このように同版(同じ甲骨)に登場しやすい貞人の組み合わせをもとにグループ化していくと、その貞人が登場する卜辞を分類することができる。上でみた争・賓・古・[⿱吅口]・[⿱⿰工工口]・奚などが貞人を務める卜辞は、そのうち一人の名をとって「賓組」と呼ぶ。貞人組には「𠂤組」「賓組」「出組」「何組」「黄組」等がある。
先王
卜辞には祖先を対象にした祭祀の記録が見られる。
- 丙申卜,王:㞢祖丁。
戊子卜,〼父乙彡〼
《合集》19871
この卜辞には「祖丁」「父乙」が登場する。「父」は父親あるいはその兄弟・従兄弟に対する呼称で、「祖」は祖父以上に対する呼称である。兄弟・従兄弟には「兄」が用いられる。「祖丁」は《史記》中の16代祖丁、「父乙」は《史記》中の21代小乙のことで、この卜辞は22代武丁期のものである。
- 甲辰卜,貞:王賓𠦪祖乙、祖丁、祖甲、康祖丁、武乙。
《合集》35803
この祭祀では直系の王(小乙・武丁・祖甲・康丁・武乙)のみが対象となっている。武乙が対象に含まれているのでこの卜辞は武乙期よりあとのものだとわかる。
このように先王の呼称や記述内容から時期を推測することができる。
用字・字体・文法
字の用法や用いる字体によって卜辞を分類することができる。例えば、「㞢」字は𠂤組・賓組・出組にしか見られず、それ以外の組では「又」等が用いられる。「止」字は𠂤組では四画で書かれるが、𠂤組以外では三画である。「王占曰:吉。」のような験辞は早期にしか見られず、「大吉」「吉」とだけ記すような卜辞は後期にしか見られない。等等。
その他
以上のほか、出土地点・地層、貞人以外の人物・地名・方国、文章の内容などさまざまな内容とその組み合わせにより、卜辞の分類とその時代推定が可能である。
これらの分類および時期推定によって、以下のことがわかっている。
王卜辞には大きく分けて二つの派閥があり、出土地点から村北系と村南系と呼ぶ。貞人組のうち最も早いものは𠂤組で、村北系はその後時代順に賓組→出組→何組と続き、村南系は歷組→無名組と続く。黄組が甲骨文中で最もおそいものである。非王卜辞はおよそ𠂤組・賓組と同じころで、武丁期のものである。武丁期は量が多く、現在発見されているうちの半分近くは賓組だといわれている。
同一貞人組内におけるさらに細かい分類もなされているが、網羅的な研究はなされておらず、分類が難しいものもあるのが現状である。