つづき
上は馬王堆漢墓帛書の字。
①《刑德》丙篇:“豐隆。”
②《繆和》013:“豐其剖。”
③《周易》017:“酆(豐)之虚盈。”
④《老子》乙本247:“言以喪禮居之也。”
⑤《戰國縱横家書》115:“殺人之母而不爲其子禮。”
⑥《養生方》063:“而以稱醴傅之。”
上は前漢早中期の簡牘の字。
①張家山簡《二年律令・秩律》443:“新豐。”
②張家山簡《二年律令・秩律》443:“酆。”
③銀雀山簡壹《六韜・登啟》677:“文王才(在)酆。”
④張家山簡《奏讞書》177:“署能治禮。”
⑤銀雀山簡壹《晏子・六》:“未免乎危亂之禮(理)。”
⑥北京大學藏簡貳《老子》002:“上禮為之而莫之應。”
この頃は「豊」「豐」ともに上部が「由」のような字体が用いられる。晋系文字に近い。
上は前漢晩期~後漢早期の簡牘の字。
①居延簡283.062:“□賢𤎩長亓豐。”
②居延簡505.005:“望泉𤎩長張豐病□□□。”
③新居延簡ESC:37:“給候之𤎩長王豊六月食。”
④武威簡《儀禮甲本・燕禮》2:“有酆。”
⑤新居延簡E.P.T.51:147B:“府所下禮分,算書。”
⑥武威簡《儀禮甲本・燕禮》1B
この頃は「豊」「豐」ともに上部が「曲」のような字体が用いられる。縦棒二本の上部は接している。「豆」の一画目が省筆されることがある。
上は後漢~西晋代の隷書碑の字。
①封龍山頌(164)、②曹全碑(185)、③皇帝三臨辟雍碑(278)、④石門頌(148)、⑤乙瑛碑(153)、⑥皇帝三臨辟雍碑(278)
この時代には「豊」の字体が完全に定着している。ただ、乙瑛碑や韓仁銘の「禮」には「豐」に従う字体が使われている。
0 件のコメント:
コメントを投稿