董蓮池 編著 (2011/10) 《新金文編》 作家出版社
でかいし重い
箱のサイズがきついので中卷の箱が壊れた
配列は説文順、亥部の後に合文・附録一(図象)・附録二(隷定不可字)がある。同一字種内は字体別に分けられ、同一字体内は時代順、同一時代内は出典番号順に並んでいる。例によって附録部分は検索不可能、配列順もよくわからないので不便。また例えば「犬」字は正編P1403に掲載されているが、それとは別に附録一P124にも存在するというわかりにくさもある。巻末に筆画索引と拼音索引がある(が上述したように例えば「犬」を引いても附録一P124には辿りつけない)。
各字形は拓本を切り貼りしただけである(《新甲骨文編》や二玄社の各書道字典のような「ゴミ取り」はされていない)。《金文編》のような模写は誤りが生まれるからよくないとか序文に書いてあったと思う。よってなるべく拓本のきれいな字のみを収録している。また特殊な字体のものや学説が一定していないものは収録を避けているようである。ちなみに日本で出ている書道字典の多くは《金文編》の字形を用いているようだ。小學堂金文の字形も《金文編》をトレースしたものである(《新金文編》をトレースしたものも一部ある)。
各字形には器名・時代・出典が併記してある。一部の字には軽い解説や釈文が載っていたりする。器名が問題で、特に器名に通仮字が含まれる場合に、出典とは異なる名前を掲載しているものが多くあるので注意が必要。
出版は2011年10月だが実際の編纂作業は2010年秋に終わった模様。5年もたつと旧釈がところどころ目立つ。
値段は1986元(約35000円)。日本で買うとおそろしい値段になる。
2016/01/08
2016/01/07
字典類の紹介1《新甲骨文編(增訂本)》
漢字好きのみなさんの散財に役に立てるように僕の持っている字典類の紹介をしたいと思う。
劉釗、洪颺、張新俊 編纂 (2009/5) 《新甲骨文編》 福建人民出版社
劉釗 主編 (2014/12) 《新甲骨文編(增訂本)》 福建人民出版社
��一般的な漢和辞典とくらべてでかい・厚い・重いという図)
��本文はこんな感じだという図)
字種の配列は説文順、説文にない字(*付きの字)はどれかの部の最後に配列され、亥部の後に合文部と附録部(隷定不可字)がある(中国の古文字編はだいたいこの配列)。同一字種内は字体別に分けられ、同一字体内は類組の時代順、同一組内は出典の番号順(增訂本のみ)に配列されている。附録部の配列は《殷墟甲骨刻辭類纂》に基づいている。
各字形は拓本をコンピューターで処理した後に白黒反転したものを用いている。よって今までの《甲骨文編》《甲骨文字典》《甲骨文字編》等の模写字形より正確な字形であるといえる(ただし筆画が誤って傷などと判定され消されてしまっている字形も極希にある)。ちなみに日本で出ている書道字典の多くは《甲骨文編》の字形を用いているようだ。小學堂甲骨文の字形も《甲骨文編》をトレースしたものである。
各字形には出典と類組が併記してあるが、この部分に結構誤植があったりする。
字例をもう少し多くできなかったのか、というのが気になる所。おそらく分冊にしたくなかったのと編集の手間を考えて、なるべく拓本がきれいな字形のみに絞ったのだろう。ちなみに拓本の出典以外の参考文献が一切書かれていないので釈字に疑問をもっても解決できない。また附録部は索引もなく検索不可能なため目的の字を発見するのが難しい。
※增訂本の旧版との違いは、装丁や紙質の上昇(と共になぜかカバーがなくなった)、栞(赤い紐)の追加、新出土資料及び新研究考釈の取り入れ、各字形の類組の配列順の変更、各字形の同一組内の配列順の変更、部首目録の追加、筆画索引の同一画数内の配列順の変更。
気になるお値段は旧版が280元(約5000円)、增訂本が330元(約6000円)。これに送料やら手数料やらがついて日本で買うと15000円くらいするみたい。
劉釗、洪颺、張新俊 編纂 (2009/5) 《新甲骨文編》 福建人民出版社
劉釗 主編 (2014/12) 《新甲骨文編(增訂本)》 福建人民出版社
��一般的な漢和辞典とくらべてでかい・厚い・重いという図)
��本文はこんな感じだという図)
字種の配列は説文順、説文にない字(*付きの字)はどれかの部の最後に配列され、亥部の後に合文部と附録部(隷定不可字)がある(中国の古文字編はだいたいこの配列)。同一字種内は字体別に分けられ、同一字体内は類組の時代順、同一組内は出典の番号順(增訂本のみ)に配列されている。附録部の配列は《殷墟甲骨刻辭類纂》に基づいている。
各字形は拓本をコンピューターで処理した後に白黒反転したものを用いている。よって今までの《甲骨文編》《甲骨文字典》《甲骨文字編》等の模写字形より正確な字形であるといえる(ただし筆画が誤って傷などと判定され消されてしまっている字形も極希にある)。ちなみに日本で出ている書道字典の多くは《甲骨文編》の字形を用いているようだ。小學堂甲骨文の字形も《甲骨文編》をトレースしたものである。
各字形には出典と類組が併記してあるが、この部分に結構誤植があったりする。
字例をもう少し多くできなかったのか、というのが気になる所。おそらく分冊にしたくなかったのと編集の手間を考えて、なるべく拓本がきれいな字形のみに絞ったのだろう。ちなみに拓本の出典以外の参考文献が一切書かれていないので釈字に疑問をもっても解決できない。また附録部は索引もなく検索不可能なため目的の字を発見するのが難しい。
※增訂本の旧版との違いは、装丁や紙質の上昇(と共になぜかカバーがなくなった)、栞(赤い紐)の追加、新出土資料及び新研究考釈の取り入れ、各字形の類組の配列順の変更、各字形の同一組内の配列順の変更、部首目録の追加、筆画索引の同一画数内の配列順の変更。
気になるお値段は旧版が280元(約5000円)、增訂本が330元(約6000円)。これに送料やら手数料やらがついて日本で買うと15000円くらいするみたい。
2015/10/30
略字メモ 分類1、同音代替
「同音代替」略字とは同音あるいは近音のより簡便な字を借りる、その字に統合する、といった方法である。
この利点は、新しく字体を生み出す必要がないことであろう。初見でも読むことが可能で、意味も文脈から推理しやすい。また覚えやすい。
以下、AはBの略字である。
1.A-Bが古今字の関係。
古今字とは、「昔はAと書いていたが、後にBと書くようになった」というようなA-Bの関係である。つまり、Aの方がBより歴史が永く続いている、かつA→Bの繁化が直列であるもの。
「採→采」:「采」は「摘み取る」の意味。後に意符として「手」を加えて「採」となった。再び「采」に簡化。
のように別字種と捉る人もいるであろう組と、
「醤/醬→酱/𨡓」:「酱」は「爿」が声符、「肉」「酉」が意符。後に上部が声符として「將」に換わった。再び「酱」に簡化。
のように明らかに同字種の組がある。
要はこの記事のシリーズで紹介する簡化方法と同じ方法で繁化された字を再び簡化しなおしたものである。なのでこれ以上の細かい分類や例は挙げない。
2.A-Bが近義。
AとBの字義に関連性があるもの、ありそうなもの。
「穫→獲」:「穫」は作物を収穫すること。「獲」は動物を捕らえること、転じて得ること全般。画数が少なく意味の広い「獲」に統合。
のように声符が共通することが多い。歴史的経緯を調べないと1と区別しづらい。また、声符が異なるものでは
「後→后」:甲骨文では「後」も「后」も「あと」の意味だが用法は異なる。画数の少ない方の「后」に統合。
「衝→沖」:「衝」は「道が通り抜ける」こと、「沖」は「水が湧き出る」こと。どちらも転じて「突く」という意味を派生した。画数の少ない方の「沖」に統合。
のような例がある。
3.A-Bに関連性なし。
1と2以外のもの。関連性なしといっても、
「囉→羅」:「囉」は「囉唆」「囉嗦」でくどいさま。「羅」は「網」。声符の「羅」に統合。
のようにAがBの声符でありながら意味に関連性が見出せないものや、
「孃→娘」:「孃」は「母親」、「娘」は「少女」のこと。画数の少ない「娘」を借りた。
のように、字義からか意符が同じ字を借りるものもある。
「鞭→卞」:「鞭」は「むち」、「卞」は「法」のこと。画数の少ない「卞」を借りた。
の両字は全く関係がないが、「卞」は使用頻度の割に画数が少ない、「鞭」は使用頻度の割に画数が多い、という理由から常用された。このように、使用頻度と画数のバランスは繁・簡字の対象となりえるかどうかに影響する。
4.特殊系
「舊→旧」:「旧」は「臼」が変化したもの。「舊→臼」は3の例となるが、「舊→𦾔→旧」という経緯である。
「靈→灵」:単純な「靈→灵」は3の例となるが、「靈→𩃏→灵」という経緯である。
「義→义」:「乂」は「治める、安定する」こと。「義→乂」は3の例。「乂」との特別のために点を加え「义」とした。
のように経緯が複雑なもの。「衛→卫」も分類が難しい。「鬭→斗」は「靈→灵」と同じ例。
ちなみに最初は1と2の間に「AがBの声符」というものを作っていたが1234のどれかに分けられるので削除した。
甲骨文では結果的に1が多い。3は「咎→求」等少数。簡牘では同音代替字がかなり多い。
この利点は、新しく字体を生み出す必要がないことであろう。初見でも読むことが可能で、意味も文脈から推理しやすい。また覚えやすい。
以下、AはBの略字である。
1.A-Bが古今字の関係。
古今字とは、「昔はAと書いていたが、後にBと書くようになった」というようなA-Bの関係である。つまり、Aの方がBより歴史が永く続いている、かつA→Bの繁化が直列であるもの。
「採→采」:「采」は「摘み取る」の意味。後に意符として「手」を加えて「採」となった。再び「采」に簡化。
のように別字種と捉る人もいるであろう組と、
「醤/醬→酱/𨡓」:「酱」は「爿」が声符、「肉」「酉」が意符。後に上部が声符として「將」に換わった。再び「酱」に簡化。
のように明らかに同字種の組がある。
要はこの記事のシリーズで紹介する簡化方法と同じ方法で繁化された字を再び簡化しなおしたものである。なのでこれ以上の細かい分類や例は挙げない。
2.A-Bが近義。
AとBの字義に関連性があるもの、ありそうなもの。
「穫→獲」:「穫」は作物を収穫すること。「獲」は動物を捕らえること、転じて得ること全般。画数が少なく意味の広い「獲」に統合。
のように声符が共通することが多い。歴史的経緯を調べないと1と区別しづらい。また、声符が異なるものでは
「後→后」:甲骨文では「後」も「后」も「あと」の意味だが用法は異なる。画数の少ない方の「后」に統合。
「衝→沖」:「衝」は「道が通り抜ける」こと、「沖」は「水が湧き出る」こと。どちらも転じて「突く」という意味を派生した。画数の少ない方の「沖」に統合。
のような例がある。
3.A-Bに関連性なし。
1と2以外のもの。関連性なしといっても、
「囉→羅」:「囉」は「囉唆」「囉嗦」でくどいさま。「羅」は「網」。声符の「羅」に統合。
のようにAがBの声符でありながら意味に関連性が見出せないものや、
「孃→娘」:「孃」は「母親」、「娘」は「少女」のこと。画数の少ない「娘」を借りた。
のように、字義からか意符が同じ字を借りるものもある。
「鞭→卞」:「鞭」は「むち」、「卞」は「法」のこと。画数の少ない「卞」を借りた。
の両字は全く関係がないが、「卞」は使用頻度の割に画数が少ない、「鞭」は使用頻度の割に画数が多い、という理由から常用された。このように、使用頻度と画数のバランスは繁・簡字の対象となりえるかどうかに影響する。
4.特殊系
「舊→旧」:「旧」は「臼」が変化したもの。「舊→臼」は3の例となるが、「舊→𦾔→旧」という経緯である。
「靈→灵」:単純な「靈→灵」は3の例となるが、「靈→𩃏→灵」という経緯である。
「義→义」:「乂」は「治める、安定する」こと。「義→乂」は3の例。「乂」との特別のために点を加え「义」とした。
のように経緯が複雑なもの。「衛→卫」も分類が難しい。「鬭→斗」は「靈→灵」と同じ例。
ちなみに最初は1と2の間に「AがBの声符」というものを作っていたが1234のどれかに分けられるので削除した。
甲骨文では結果的に1が多い。3は「咎→求」等少数。簡牘では同音代替字がかなり多い。
2015/10/24
「略字」メモ
「略字」とは、「異体字のうち、簡単なもの」である。
「異体字のうち、簡単なもの」であっても「略字」と言える場合と言えない場合とがある。
例として、「廣」と「広」と「广」について考える。「「広」は「廣」の略字である」、「「广」は「廣」の略字である」ことには異論がないだろう。しかし、「「广」は「広」の略字である」というと違和感があるのではないだろうか。これは、歴史的経緯を考えた時に、「广」は「広」からできたわけではないからである。ただ、「体」も「體」からできたわけではないが、「「体」は「體」の略字である」とはいえる。「体」の歴史的経緯は「體→軆→躰→体」であり、「體」と「体」は直接の関係がないが、一本の流れ上にある。これをいま直列的な異体字であるという。「广」の場合は「廣→広→广」ではなく「廣→広,廣→广」という経緯であり、並列的である。
「AはBの略字である」というにはAとBが直列的な異体字であることが条件だといえる。
また、「簡単なもの」というのはかなり主観的である。
「画数が減る」というのが典型的な例の一つでは有る。ただ画数が減らなくても罕用部件を常用部件に換えたものや、声旁をわかりやすいものに換えたものなどは画数が大幅に増えていなければ簡単になったといえるだろう。
「異体字のうち、簡単なもの」であっても「略字」と言える場合と言えない場合とがある。
例として、「廣」と「広」と「广」について考える。「「広」は「廣」の略字である」、「「广」は「廣」の略字である」ことには異論がないだろう。しかし、「「广」は「広」の略字である」というと違和感があるのではないだろうか。これは、歴史的経緯を考えた時に、「广」は「広」からできたわけではないからである。ただ、「体」も「體」からできたわけではないが、「「体」は「體」の略字である」とはいえる。「体」の歴史的経緯は「體→軆→躰→体」であり、「體」と「体」は直接の関係がないが、一本の流れ上にある。これをいま直列的な異体字であるという。「广」の場合は「廣→広→广」ではなく「廣→広,廣→广」という経緯であり、並列的である。
「AはBの略字である」というにはAとBが直列的な異体字であることが条件だといえる。
また、「簡単なもの」というのはかなり主観的である。
「画数が減る」というのが典型的な例の一つでは有る。ただ画数が減らなくても罕用部件を常用部件に換えたものや、声旁をわかりやすいものに換えたものなどは画数が大幅に増えていなければ簡単になったといえるだろう。
2015/10/22
同音書換21
快闊→快活、旱害→干害、旱天→干天、象嵌→象眼
●快闊→快活
《漢語大詞典》
《大漢和辞典》
近代国語辞典の収録状況
●旱害→干害
《漢語大詞典》
《大漢和辞典》
「干害」の用例
《地下水を利用せる電力灌漑事業》(1925)「干害の程度」「十三年間中八ヶ年は相當干害を受けて居る」
《東北地方に於ける出作及び出稼聚落の經濟地理》(1936):「又米作は冷害,干害を受け易き故」
《北支事情解説パンフレット》(1939):「一度水害や干害に遭ふと忽ち生活を脅かされる」
●旱天→干天
《漢語大詞典》
《大漢和辞典》
「干天」の用例
《中外商業新報・製鉄救済:緊急なる一方法》(1920.08.29)「主要製鐵業者が干天に雨露を求め得しが如く」
《報知新聞・紡績界チームの揺籃時代と山邊氏の活躍》(1931.03.17)「干天の滋雨である」
《朝日新聞・炭酸ガスの肥料価値》(1928.04.30)「夏および初秋の干天に果枝の蒼生多いこと」
●象嵌→象眼
《漢語大詞典》
《大漢和辞典》
近代国語辞典の収録状況(金属加工品の意味のみ。布・紙・絹の意味は除外。)
《文明本節用集》(1474)に「象眼」とあるが意味は書かれていない。《易林本節用集》(1597)に「象眼,胡銅交金。」とある。
●快闊→快活
《漢語大詞典》
【快活】
1.高興,快樂。
《北齊書・恩倖傳・和士開》:“陛下宜及少壯,恣意作樂,縱橫行之,即是一日快活敵千年。”
唐白居易《想歸田園》詩:“快活不知如我者,人間能有幾多人。”
《儒林外史》第三二回:“昨日擾了世兄這一席酒,我心裏快活極了!”
浩然《艷陽天》第十四章:“他們快活地談論着,早忘了烈日的曝曬。”
2.鳥鳴聲。
宋蘇軾《五禽言》詩之三:“豐年無象何處尋,聽取林間快活吟。”
自注:“此鳥聲云:麥飯熟,即快活。”
宋范成大《初四日東郊觀麥苗》詩:“相將飽喫滹沱飯,來聽林間快活啼。”
《大漢和辞典》
【快闊】クワイクワツ
1.心地よく開けたさま。
2.氣象のはれやかなさま。氣象がさつぱりとして度量が廣いさま。
【快活】クワイクワツ
1.たのしみ。又、たのしい。愉快。
〔北齊書、和士開傳〕一日快活敵千年。
〔白居易、想歸田園詩〕快活不知如我者、人間能有幾多人。
〔五代史、劉昫傳〕三司諸吏提印聚立月華門外、聞宣麻罷昫相、皆歡呼相賀曰、自此我曹快活矣。
2.鳥の名。「麥飯熟すれば卽ち快活」と鳴くといふ。
〔蘇軾、五禽言詩〕豐年無象何處尋、聽取林閒快活吟。
〔自注〕此鳥聲、麥飯熟卽快活。
3.はきはきして元氣のあること。さつぱりしてゐて物事にこだはらず、元氣のよいこと。
近代国語辞典の収録状況
快闊 | 快活 | ||
1891:言海 | ○ | × | |
1894:日本大辞林 | × | ○ | |
1896:帝国大辞典 | ○ | × | |
1897:日本新辞林 | ○ | × | |
1899:ことばの泉 | ○ | × | |
1912:大辞典 | ○ | ○ | |
1919:大日本国語辞典 | ○ | ○ | |
1921:言泉 | ○ | ○ | |
1936:大辞典 | ○ | ○ |
●旱害→干害
《漢語大詞典》
【干害】
捍護。(以下略)
《大漢和辞典》
【旱害】カンガイ
ひでりの災害。旱災。
「干害」の用例
《地下水を利用せる電力灌漑事業》(1925)「干害の程度」「十三年間中八ヶ年は相當干害を受けて居る」
《東北地方に於ける出作及び出稼聚落の經濟地理》(1936):「又米作は冷害,干害を受け易き故」
《北支事情解説パンフレット》(1939):「一度水害や干害に遭ふと忽ち生活を脅かされる」
●旱天→干天
《漢語大詞典》
【干天】
猶參天。謂高出空際。(以下略)
《大漢和辞典》
【旱天】カンテン
夏の空。又、ひでりの時。ひでり。
〔運步色葉集〕旱天。
「干天」の用例
《中外商業新報・製鉄救済:緊急なる一方法》(1920.08.29)「主要製鐵業者が干天に雨露を求め得しが如く」
《報知新聞・紡績界チームの揺籃時代と山邊氏の活躍》(1931.03.17)「干天の滋雨である」
《朝日新聞・炭酸ガスの肥料価値》(1928.04.30)「夏および初秋の干天に果枝の蒼生多いこと」
●象嵌→象眼
《漢語大詞典》
【鑲嵌】
1.將一物體嵌在另一物體中。
清李斗《揚州畫舫錄・新城北錄中》:“藥師壇城,外面方亭柱磉,翼飛簷。寶頂鑲嵌城門、城垛子、城樓。”
聞一多《紅燭・劍匣》:“我將用墨玉同金絲,製出一隻雷紋鑲嵌的香爐。”
2.比喻深深地進入某種境界或思想活動中。
沈從文《邊城》十八:“那個死去的人,卻用一個凄涼的印象,鑲嵌到父子心中。”
【相嵌】
猶鑲嵌。
宋趙希鵠《洞天清禄集・古鐘鼎彝器辨》:“余嘗見夏琱戈於銅上,相嵌以金,其細如髮,夏器大抵皆全。歲久金脱, 則成陰𥧾,以其刻畫處成凹也。”
【商嵌】
鑲嵌。
明王世貞《觚不觚録》:“趙良璧之治錫,馬勳之治扇,周治治商嵌……皆比常價再倍。”
《大漢和辞典》
【象嵌】ザウカン ザウガン
象眼の2.に同じ。
【象眼】サウガン
1.布・紙等に施した細い泥畫。
〔佩楚軒客談〕蜀時製十樣錦、名有獅團象眼。
2.イ:銅鐵等の表面に模樣をきざみこみ、中に金銀等をはめたもの。象嵌。
〔和漢三才圖會、金類、鍍〕象眼、䤹銅鐵器成畫文、以金銀埋其理、俗名象眼。
ロ:鉛版中の誤字等を切り拔いて正字をはめこむこと。
【鑲嵌】
ちりばめる。はめ込む。象嵌する。
【相嵌】シヤウカン
はめこむ。商嵌。
〔洞天清祿集〕余夏琱戈於銅上相嵌以金、其細如髮、相嵌、今俗訛商嵌、詩云、追其琢章、金玉其和。
近代国語辞典の収録状況(金属加工品の意味のみ。布・紙・絹の意味は除外。)
象嵌 | 象眼 | ||
1891:言海 | × | ○ | 象眼:鑲嵌とも |
1894:日本大辞林 | ○ | × | |
1896:帝国大辞典 | × | ○ | |
1897:日本新辞林 | × | ○ | |
1899:ことばの泉 | × | ○ | |
1912:大辞典 | ○ | × | |
1919:大日本国語辞典 | × | ○ | |
1921:言泉 | × | ○ | |
1936:大辞典 | ○ | ○:2.=象嵌 | 象嵌:相嵌・商嵌・雜嵌・象眼・雜眼とも |
《文明本節用集》(1474)に「象眼」とあるが意味は書かれていない。《易林本節用集》(1597)に「象眼,胡銅交金。」とある。
2015/10/13
「豊」の字形演変2
つづき
上は馬王堆漢墓帛書の字。
①《刑德》丙篇:“豐隆。”
②《繆和》013:“豐其剖。”
③《周易》017:“酆(豐)之虚盈。”
④《老子》乙本247:“言以喪禮居之也。”
⑤《戰國縱横家書》115:“殺人之母而不爲其子禮。”
⑥《養生方》063:“而以稱醴傅之。”
上は前漢早中期の簡牘の字。
①張家山簡《二年律令・秩律》443:“新豐。”
②張家山簡《二年律令・秩律》443:“酆。”
③銀雀山簡壹《六韜・登啟》677:“文王才(在)酆。”
④張家山簡《奏讞書》177:“署能治禮。”
⑤銀雀山簡壹《晏子・六》:“未免乎危亂之禮(理)。”
⑥北京大學藏簡貳《老子》002:“上禮為之而莫之應。”
この頃は「豊」「豐」ともに上部が「由」のような字体が用いられる。晋系文字に近い。
上は前漢晩期~後漢早期の簡牘の字。
①居延簡283.062:“□賢𤎩長亓豐。”
②居延簡505.005:“望泉𤎩長張豐病□□□。”
③新居延簡ESC:37:“給候之𤎩長王豊六月食。”
④武威簡《儀禮甲本・燕禮》2:“有酆。”
⑤新居延簡E.P.T.51:147B:“府所下禮分,算書。”
⑥武威簡《儀禮甲本・燕禮》1B
この頃は「豊」「豐」ともに上部が「曲」のような字体が用いられる。縦棒二本の上部は接している。「豆」の一画目が省筆されることがある。
上は後漢~西晋代の隷書碑の字。
①封龍山頌(164)、②曹全碑(185)、③皇帝三臨辟雍碑(278)、④石門頌(148)、⑤乙瑛碑(153)、⑥皇帝三臨辟雍碑(278)
この時代には「豊」の字体が完全に定着している。ただ、乙瑛碑や韓仁銘の「禮」には「豐」に従う字体が使われている。
上は馬王堆漢墓帛書の字。
①《刑德》丙篇:“豐隆。”
②《繆和》013:“豐其剖。”
③《周易》017:“酆(豐)之虚盈。”
④《老子》乙本247:“言以喪禮居之也。”
⑤《戰國縱横家書》115:“殺人之母而不爲其子禮。”
⑥《養生方》063:“而以稱醴傅之。”
上は前漢早中期の簡牘の字。
①張家山簡《二年律令・秩律》443:“新豐。”
②張家山簡《二年律令・秩律》443:“酆。”
③銀雀山簡壹《六韜・登啟》677:“文王才(在)酆。”
④張家山簡《奏讞書》177:“署能治禮。”
⑤銀雀山簡壹《晏子・六》:“未免乎危亂之禮(理)。”
⑥北京大學藏簡貳《老子》002:“上禮為之而莫之應。”
この頃は「豊」「豐」ともに上部が「由」のような字体が用いられる。晋系文字に近い。
上は前漢晩期~後漢早期の簡牘の字。
①居延簡283.062:“□賢𤎩長亓豐。”
②居延簡505.005:“望泉𤎩長張豐病□□□。”
③新居延簡ESC:37:“給候之𤎩長王豊六月食。”
④武威簡《儀禮甲本・燕禮》2:“有酆。”
⑤新居延簡E.P.T.51:147B:“府所下禮分,算書。”
⑥武威簡《儀禮甲本・燕禮》1B
この頃は「豊」「豐」ともに上部が「曲」のような字体が用いられる。縦棒二本の上部は接している。「豆」の一画目が省筆されることがある。
上は後漢~西晋代の隷書碑の字。
①封龍山頌(164)、②曹全碑(185)、③皇帝三臨辟雍碑(278)、④石門頌(148)、⑤乙瑛碑(153)、⑥皇帝三臨辟雍碑(278)
この時代には「豊」の字体が完全に定着している。ただ、乙瑛碑や韓仁銘の「禮」には「豐」に従う字体が使われている。
2015/10/12
「豊」の字形演変1
最初は字形を古いものから並べただけの記事だったけどいろいろ文章書いたら長くなった。
①②は「豊」の甲骨文である。「豊」は「壴+玨」で、装飾のついた太鼓の象形である。
③④は「豐」の甲骨文である。「豐」は「壴」を意符、「亡」を声符とする形声文字である。
⑤は「壴+木」からなる字である。
《甲骨文字用研究・殷墟甲骨文已識字字表》
このほか「豊」は祭祀名としても使われている。また合27137や合30961に見える「豊庸」を楽器名とする説もある。
なお、甲骨文では意味と字形が対応している。
上は殷~西周早期の金文の字。
①集成05.2625《豊作父丁鼎》:“王商(賞)宗庚豊貝二朋。”
「宗庚豊」は人名。
②集成08.4201《小臣宅𣪘》:“同公才(在)豐。”
「豐」は地名。「酆」との関連が指摘されている。
③集成04.2152《豐公鼎》:“豐公□乍(作)尊彝。”
④集成10.5346《豐卣》:“豐乍(作)父癸寶尊彝。”
「亡」に従う③④は作器者の人名に使われている。
⑤集成08.4261《天亡𣪘》:“王又(有)大豊(禮)王凡三方。”
「大禮」は儀礼。
⑥集成10.5357《𪬹季遽父卣》:“𪬹季遽父乍(作)豐姬寶尊彝。”
「豐姬」は人名。
上は西周中期の金文の字。
⑦集成15.9455《長甶盉》:“穆王鄕(饗)豊(醴)。”
「豊」は酒の意。
⑧近出468《叔豊簋》:“弔(叔)豊曰余啟(肇)乍(作)寶𣪘(簋)。”
西周金文に見られる「亡」に従う字はここで挙げたもの以外も全て人名にのみ使われている。
⑨集成01.247《𤼈鐘》:“其豐〓𬉖〓。”
「豐豐𬉖𬉖」は擬声詞。もとは太鼓の音、引伸でゆたか・盛んなさまを表す。
⑩集成16.10175《史牆盤》“厚福。豐年。”
「豐」は「ゆたか」の意。
⑪集成06.3737《[⿱夂言]𣪘》:“[⿱夂言]乍(作)豐□寶𣪘(簋)。”
「豐□」は人名。
⑫集成08.4267《申𣪘蓋》:“官𤔲(司)豐人眔九[⿱戲皿]祝。”
「豐人」は地名。
上は⑭を除き西周晩期の金文の字。⑭は春秋早期のもの。
⑬集成16.10176《散氏盤》:“𫪡豐父。”
「𫪡豐父」は人名。
⑭集成03.668《右戲仲夏父鬲》:“右戲中(仲)夏父乍(作)豐鬲。”
「豐鬲」は器名。「醴鬲」と読むという説もある。
⑮集成07.3923《豐丼叔𣪘》:“豐井(邢)弔(叔)乍(作)白(伯)姬尊𣪘(簋)。”
「豐邢叔」は人名。
⑯集成08.4280《元年師𬀈𣪘》:“備于大𠂇(左)官𤔲(司)豐還。”
「豐還」は地名。
⑰集成05.2546《輔伯𬌄父鼎》:“輔白(伯)𬌄父乍(作)豐孟㜏賸(媵)鼎。”
「豐孟㜏」は人名。
上は「豊」に従う「醴」字と、「豐」に従う「𫿩」字。
⑱集成05.2807《大鼎》(周中):“王鄕(饗)醴。”
⑲集成15.9726《三年𤼈壺》(周中):“鄕(饗)醴。”
⑳集成15.9572《𬋺仲多壺》(周晩):“𬋺(唐)中(仲)大乍(作)醴壺。”
㉑集成15.9656《伯公父壺蓋》(周晩):“白(伯)公父乍(作)弔(叔)姬醴壺。”
㉒集成01.49《㪤狄鐘》(周中晩):“𫿩〓𬉖〓降。”
㉓集成01.110《丼人𡚬鐘》(周晩):“𫿩〓𬉖〓。”
西周金文では「豊」「豐」に字形差は見られない。
上は楚系文字。
①曾侯乙墓竹簡75:“黄豊馭王車。”
初期の字体。上博六《天子建州》ではこの字体が用いられる。晋系文字もこの字体に近い。
②郭店楚簡《語叢一》16:“又(有)仁又(有)智,又(有)義又(有)豊(禮),又(有)聖又(有)善。”
上部が「𦥔」の字体。楚簡ではこの字体が一番多く見られる。
③郭店楚簡《語叢一》33:“豊(禮)生於牂,樂生於亳。”
上部が「臼」の字体。例は少ない。上博七《凡物流形》ではこの字体が用いられる。
④郭店楚簡《六德》26:“豊(禮)、樂,共也。”
上部が「艹」のような字体。郭店《性自命出》、郭店《六德》ではこの字体。
また、郭店《緇衣》、上博一《緇衣》では上部が「井」のような字体が用いられている。
⑤上博楚簡二《容成氏》48:“豐、喬(鎬)之民䎽(聞)之,乃降文王。”
清華四《別卦》の「酆」の字形はこれに近い。
⑥上博楚簡三《周易》51:“九四:豐丌(其)坿(蔀),日中見斗,遇丌(其)𡰥(夷)宔(主),吉。”
包山楚簡にはこれに縦棒が入った字体が用いられている。
楚系文字では「豊」と「豐」は字形が区別されている。
上は秦系文字。
①近出二1197《王七年上郡守疾戈》(318BC):“王七年,上郡守疾之造。□豊。”
②《西安相家巷遺址秦封泥的發掘》圖十六9:“豐璽”
③詛楚文(戰晩):“禮使介老將之,以自救殹(也)。”
④《秦陶文新編》1148(秦):“陝禮”
⑤璽印集成・三一・GY-0002
⑥秦陶2977《秦封宗邑瓦書》(334BC):“取杜才(在)酆邱到潏水。”
秦系文字では「豊」と「豐」は字形が区別されている。
①②は「豊」の甲骨文である。「豊」は「壴+玨」で、装飾のついた太鼓の象形である。
③④は「豐」の甲骨文である。「豐」は「壴」を意符、「亡」を声符とする形声文字である。
⑤は「壴+木」からなる字である。
《甲骨文字用研究・殷墟甲骨文已識字字表》
【豊】
1.酒。
花東501:“丁卜,今庚其乍豊,速丁飲。若。”
合31180:“其乍豊,又正,受又。”
合30725:“弜用茲豊。”
2.地名。
懷1444:“甲寅卜,乙王其田于豊以戍擒。”
【豐】
婦名。
合17513:“壬寅帚豐示二屯。岳。”
合2798反:“帚豐…來。”
【⿱林豈】
地名。
合8262反:“貞勿往○。”
このほか「豊」は祭祀名としても使われている。また合27137や合30961に見える「豊庸」を楽器名とする説もある。
なお、甲骨文では意味と字形が対応している。
上は殷~西周早期の金文の字。
①集成05.2625《豊作父丁鼎》:“王商(賞)宗庚豊貝二朋。”
「宗庚豊」は人名。
②集成08.4201《小臣宅𣪘》:“同公才(在)豐。”
「豐」は地名。「酆」との関連が指摘されている。
③集成04.2152《豐公鼎》:“豐公□乍(作)尊彝。”
④集成10.5346《豐卣》:“豐乍(作)父癸寶尊彝。”
「亡」に従う③④は作器者の人名に使われている。
⑤集成08.4261《天亡𣪘》:“王又(有)大豊(禮)王凡三方。”
「大禮」は儀礼。
⑥集成10.5357《𪬹季遽父卣》:“𪬹季遽父乍(作)豐姬寶尊彝。”
「豐姬」は人名。
上は西周中期の金文の字。
⑦集成15.9455《長甶盉》:“穆王鄕(饗)豊(醴)。”
「豊」は酒の意。
⑧近出468《叔豊簋》:“弔(叔)豊曰余啟(肇)乍(作)寶𣪘(簋)。”
西周金文に見られる「亡」に従う字はここで挙げたもの以外も全て人名にのみ使われている。
⑨集成01.247《𤼈鐘》:“其豐〓𬉖〓。”
「豐豐𬉖𬉖」は擬声詞。もとは太鼓の音、引伸でゆたか・盛んなさまを表す。
⑩集成16.10175《史牆盤》“厚福。豐年。”
「豐」は「ゆたか」の意。
⑪集成06.3737《[⿱夂言]𣪘》:“[⿱夂言]乍(作)豐□寶𣪘(簋)。”
「豐□」は人名。
⑫集成08.4267《申𣪘蓋》:“官𤔲(司)豐人眔九[⿱戲皿]祝。”
「豐人」は地名。
上は⑭を除き西周晩期の金文の字。⑭は春秋早期のもの。
⑬集成16.10176《散氏盤》:“𫪡豐父。”
「𫪡豐父」は人名。
⑭集成03.668《右戲仲夏父鬲》:“右戲中(仲)夏父乍(作)豐鬲。”
「豐鬲」は器名。「醴鬲」と読むという説もある。
⑮集成07.3923《豐丼叔𣪘》:“豐井(邢)弔(叔)乍(作)白(伯)姬尊𣪘(簋)。”
「豐邢叔」は人名。
⑯集成08.4280《元年師𬀈𣪘》:“備于大𠂇(左)官𤔲(司)豐還。”
「豐還」は地名。
⑰集成05.2546《輔伯𬌄父鼎》:“輔白(伯)𬌄父乍(作)豐孟㜏賸(媵)鼎。”
「豐孟㜏」は人名。
上は「豊」に従う「醴」字と、「豐」に従う「𫿩」字。
⑱集成05.2807《大鼎》(周中):“王鄕(饗)醴。”
⑲集成15.9726《三年𤼈壺》(周中):“鄕(饗)醴。”
⑳集成15.9572《𬋺仲多壺》(周晩):“𬋺(唐)中(仲)大乍(作)醴壺。”
㉑集成15.9656《伯公父壺蓋》(周晩):“白(伯)公父乍(作)弔(叔)姬醴壺。”
㉒集成01.49《㪤狄鐘》(周中晩):“𫿩〓𬉖〓降。”
㉓集成01.110《丼人𡚬鐘》(周晩):“𫿩〓𬉖〓。”
西周金文では「豊」「豐」に字形差は見られない。
上は楚系文字。
①曾侯乙墓竹簡75:“黄豊馭王車。”
初期の字体。上博六《天子建州》ではこの字体が用いられる。晋系文字もこの字体に近い。
②郭店楚簡《語叢一》16:“又(有)仁又(有)智,又(有)義又(有)豊(禮),又(有)聖又(有)善。”
上部が「𦥔」の字体。楚簡ではこの字体が一番多く見られる。
③郭店楚簡《語叢一》33:“豊(禮)生於牂,樂生於亳。”
上部が「臼」の字体。例は少ない。上博七《凡物流形》ではこの字体が用いられる。
④郭店楚簡《六德》26:“豊(禮)、樂,共也。”
上部が「艹」のような字体。郭店《性自命出》、郭店《六德》ではこの字体。
また、郭店《緇衣》、上博一《緇衣》では上部が「井」のような字体が用いられている。
⑤上博楚簡二《容成氏》48:“豐、喬(鎬)之民䎽(聞)之,乃降文王。”
清華四《別卦》の「酆」の字形はこれに近い。
⑥上博楚簡三《周易》51:“九四:豐丌(其)坿(蔀),日中見斗,遇丌(其)𡰥(夷)宔(主),吉。”
包山楚簡にはこれに縦棒が入った字体が用いられている。
楚系文字では「豊」と「豐」は字形が区別されている。
上は秦系文字。
①近出二1197《王七年上郡守疾戈》(318BC):“王七年,上郡守疾之造。□豊。”
②《西安相家巷遺址秦封泥的發掘》圖十六9:“豐璽”
③詛楚文(戰晩):“禮使介老將之,以自救殹(也)。”
④《秦陶文新編》1148(秦):“陝禮”
⑤璽印集成・三一・GY-0002
⑥秦陶2977《秦封宗邑瓦書》(334BC):“取杜才(在)酆邱到潏水。”
秦系文字では「豊」と「豐」は字形が区別されている。
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