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2020/03/21

泉屋博古館『金文-中国古代の文字-』釈文の訂正

1. 頌簋蓋

釈文はこの字(以下、△)を、「貯」字と隷定し、「貯蔵庫」と翻訳する。
「△」字はかつて「貯」とされていたが、80年代に「賈」と読むべきであるという指摘がされた。 当初、「△」字の上部と「賈」字の上部には字形上隔たりがあることからこの説は広くは受け入れられなかったが、戦国文字研究の進展にともなって現在は「賈」説が主流となっている。 主な根拠は以下の通り。
  1. 魯方彝蓋(西周中期,《銘圖》13543)銘文中の「△休多贏」は、《左傳・昭公元年》「賈而欲贏,而惡囂乎?」に類似している。
  2. 「△」字が使われている裘衛諸器、格伯簋、兮甲盤などは交易に関する文章が綴られている。これらにおいて「△」字を「賈」や「價」と解釈するのは自然であるが、「貯」では通じないかあるいは文脈上不自然になる。なお「貯」を「予」(あたえる)の通仮とする説があるが、両字は実際には漢代以前には通仮不可能である上、この意味の「予」の通仮に用いられる「舎」字が同銘文上に現れているため用字習慣上からも否定される。
  3. △子己父匜(西周晩期,《銘圖》14958)は荀侯稽匜(春秋早期,《銘圖》14958)とともに山西省聞喜県から出土した。賈・荀はともにかつてこの付近に存在し、晋に滅ぼされた国である。賈国は《左傳・桓公九年》「荀侯、賈伯,伐曲沃。」など史書にも記載があるが、逆に「貯」なる国はない。このほか△伯簋(西周晩期,《銘圖》05130-05132)、△叔鼎(春秋早期,《銘續》0203)も山西出土とされている。
  4. 春秋戦国出土文献には「△」字が人名に用いられている例が多く存在する。伝世文献には「賈」という名の人物はよく見られる。
  5. 清華簡《繫年》「鄭之△人弦高」が秦軍を労ったという話は、《左傳・僖公三十三年》「鄭商人弦高」が秦軍を労ったという話と対応する。
「△」字と「賈」字の上部の関係は未だ十分な関係がなされてはいないものの、戦国時代出土文献では「△」字が「賈」としか読めない部分で用いられており、「字形が「賈」に似ていないから」という理由の否定意見はもはや通らなくなった。
以上より、「△」字は「貯」字ではなく「賈」字であり、ここでは「商人」と翻訳すべきである。
なお「新造」を「新しく作った」と翻訳するが、これは官名である(包山楚簡などにも見られる)。

<参考>
李學勤(1981)《重新估價中國古代文明》;《新出青铜器研究》,文物出版社,1990年6月,頁8-9。
李學勤(1984)《兮甲盤與駒父盨――論西周末年周朝與淮夷的關係》;《新出青铜器研究》,文物出版社,1990年6月,頁144-145。
李學勤(1985)《魯方彝與西周商賈》;《當代學者自選文庫・李學勤卷》,安徽教育出版社,1998年12月,頁305-307。
李學勤(1992)《包山楚簡中的土地買賣》;《綴古集》,上海古籍出版社,1998年10月,頁152-155。
裘錫圭(1992)《釋“賈”》;《裘錫圭學術文集・金文及其他古文字卷》,復旦大學出版社,2012年6月,頁440-443。
彭裕商(2003)《西周金文中的“賈”》;《考古》2003年第2期,頁153-157。


7. 亜𡩜夫鼎

「𡩜夫」を二字と解釈しているが、これは一文字の族名(族徽)である。また「止」も族名である。根拠は以下の通り。
  1. 「𡩜」のみの族名を記した器が存在しない。
  2. 「夫」のみの族名を記した器が存在しない。
  3. 「𡩜夫」のみ記された器は存在する。
  4. 「𡩜」字および「憲」字は「害」を声符とする字であるが、同じく「害」を声符とする字に「㝬」字が存在する。
  5. 「止(址)」のみ記された器は存在する。
  6. 「𡩜夫止」と記された器と「止(址)」のみ記された器が同一地点から出土している(1990年10月安陽)。
したがってこの器の名前は「亜𫴂止鼎」あるいは「亜㝬址鼎」とするのがよいと思われる。


9. 宰椃角

●王各宰椃从

釈文は「王格。宰椃从。」と区切って読み、器主は「宰椃」という人物であったと解釈する。しかし、これでは「格」の目的語がなく不自然である。他の器の銘文中の「(王)格」はほぼ必ず後ろに場所が示されている(「格」と場所の間に「于」が入ることも多い)。

この部分は「王格宰。椃从。」と読むべきと思われる。戍𫲱鼎(商晩期,《銘圖》02320)に「才(在)」とある。「」字はしばしば「宗」字と解釈されるが、この字の中部は「示」とは明らかに異なり、むしろこの字は「宰」字に近い。宰椃角・戍𫲱鼎ともに、「𪧶」地に存在する「宰」と呼ばれる地点ないし施設を表していると解釈するのが自然である。
ゆえに器名も「椃角」とするのがよいと思われる。

<参考>
謝明文(2012)《商代金文的整理與研究》,復旦大學年博士論文,2012年5月,頁482-483。


10. 執父辛簋

釈文はこの字(以下、△)を、「執」字とする。解説に「執は……甲骨文などには人物の両手に器具を取り付けて拘束するような字姿で表される」とあるのは正確である、それゆえにこの器の「△」字を「執」字と考えることはできない。

甲骨金文において「執」字とされている字は、のような字形で、これは上述の通り人を拘束した形である。「△」字は明らかにこれとは形が異なる。
  1. 甲午貞:令戎麇。十二月。
    《合集》10389(賓組)
  2. 己巳貞:〼井方〼。
    《拼集》222(歴組)
  3. 𡀚(訊)隻(獲)𡿿(馘)。
    𦵯簋(西周中期,《銘圖》02383)
「執」字は、殷墟甲骨文では獲物や敵を捕らえること等に用いられる。西周金文では多くが「執訊」に用いられており、この語は《詩・小雅・出車》「執訊獲醜」など伝世文献にも見られる。

「△」字は殷墟甲骨文にも用いられているが、その用法は「執」とははっきり異なる。以下に例をいくつか挙げる。
  1. 翌日辛王其省田,入,不雨。
    夕入,不雨。
    《合集》28628(無名組)
  2. 甲寅[卜,尹,]貞:王賓祼,亡𡆥。才(在)九月。
    貞:亡拇(吝)。
    甲寅卜,尹,貞:王賓夕祼,亡𡆥。才(在)九月。
    《合集》25488(出組)
  3. 王其田,丁𥁰(向)戊其,亡𢦏(災),弗每(悔)。
    弜(勿),其每(悔)。
    《合集》27946(無名組)
  4. 丙子卜:祼戉(歲)。
    《合集》30745(無名組)
  5. 辛酉,貞:在宀*[⿱我祭*]其
    辛酉,貞:[⿱我祭*]弜(勿)戠禾。
    《合集》34399(歴組)
例4,5では「△」と「夕」が対になっている。したがって「△」は「夕」と同じく時間帯を表す言葉である。例6は丁の日から戊の日にかけてのことを占っていることから、「△」が指す時間帯は深夜~早朝のどこかであることがわかる。
また商金文には「△」族徽と「或」族徽をあわせた(《銘圖》08325),(《銘圖》09843)が見られる。

「△」字は「丮」と「屮/木」に従う字である。「丮」字には以下の用例がある。
  1. 乙亥卜,王𡉚(往)田,亡𢦏(災)。
    弜(勿)
    《合集》33413(歴組)
  2. 丙午卜:祼〼
    《合集》34621(無名組)
  3. 〼才(在)〼宀*〼其〼叒(諾)。
    《合集》16415(賓組)
例9,10の「丮」字の辞例は例6,7の「△」字の辞例と同じである。例11の文は明らかでないが、例8と関連する可能性がある。
また商金文には「丮」族徽と「或」族徽をあわせた(《銘圖》13217)が見られる。

「丮」に従う字に「𡖊」字がある。この「𡖊」字は多くの研究者によって「夙」と解釈されている。
  1. 王其田,叀犬𠂤(師)匕(比),禽,亡𢦏(災)。
    王其田,叀成犬匕(比),禽,亡𢦏(災)。
    弜(勿)𡖊
    《合集》27915(無名組)
例12の「𡖊」字の用法は例6,9の「△/丮」字の用法と同じである。また「夙」(早朝)は例6より推察される「△」の時間帯範囲内である。

以上より、「△」字は「丮」字や「𡖊」字とともに甲骨文において「夙」(早朝)を表す字である可能性が非常に高く、また「執」とは字形・用例とも異なる別字である。
したがって器名は「[⿰屮丮]父辛簋」あるいは「夙父辛簋」とすべきである。

<参考>
沈培(1995)《説殷墟甲骨卜辭的“𬂤”》;《原學》第3輯,中國廣播電視出版社,1995年8月,頁75-110。
謝明文(2018)《説夙及其相關之字》;《出土文獻與古文字研究》第7輯,上海古籍出版社,2018年5月,頁30-49。


20. 𨕘甗

●圧(

釈文はこの字(以下、△)を、「圧」字とする。
「△」字には以下の用例がある。
  1. 休白(伯)大(太)師𬎲(任)𩛥臣皇辟。
    師𩛥鼎(西周中期,《銘圖》02495)
  2. 天子事(使)㲽(梁)其身邦君大正。
    梁其鐘(西周晩期,《銘圖》15522-15527)
  3. 白(伯)庶父乍(作)
    伯庶父匜(西周晩期,《銘圖》14888)
例1,2は𨕘甗と同様の辞例である。例3は器名として使われている。

「△」字は「尸」と「月」とに従う字である。造字方法を考えるとこの字は象形字とは考え難く、「尸」「月」のどちらかは声符である可能性が高い。
「尸」字は先秦文献ではしばしば「夷」に用いられるが、「夷」には語助詞の用法がある。 《周禮・秋官・行夫》「使則介之」鄭玄注「《故書》曰:“夷使。”……玄謂“夷,發聲。”」、《周禮》古書の「夷使」は金文の「△使」と完全に同じである。
ゆえにこの「△」字は「夷」と読むのが自然であり、文中では意味をもたない。例3は「匜」の通仮と考えられる。

●于㝬侯𨕘暦

「𥎦(侯)」の下に重文符号と「蔑」字がある。この部分は「于㝬侯侯蔑𨕘暦」とすべきである。

●暦(

釈文はこの字(以下、△)を、「暦」字とする。
「△」字は西周金文中に多く見られるが、この字の上部は「秝」ではなく、「林」と書かれることが多く、また特に早期には「⿲木丄木」と書かれることが多い。 最も早い例は商代晩期の小子[⿱夆囧]*卣(《銘圖》13326)のである。 小臣𬣆簋(西周早期,《銘圖》05269-05270)にこの「⿲木丄木」を含む字が見られる。同じ器でこの字はとも書かれる。 この字は一般に「懋」字と解釈されている。したがって「△」字も「懋」に近い音であった可能性が非常に高い。
また、「歷」字は「⿱秝止」の形で殷墟甲骨文から存在し、上部を「林」「⿲木丄木」のように書く形は見られず、「△」字のような「蔑」とセットで使う例もない。
ゆえに「△」字は「歴/暦」とは無関係の字である。金文中のこの字の解釈は参考文献参照。

<参考>
于豪亮(1984)《陝西扶風縣强家村出土虢季家族銅器銘文考釋》;《古文字研究》第9輯,中華書局,1984年1月,頁259。
陳劍(1999)《青銅器自名代稱、連稱研究》;《中國文字研究》第1輯,廣西教育出版社,1999年7月,頁339-340。
陳劍(2018)《簡談對金文“蔑懋”問題的一些新認識》;《出土文獻與古文字研究》第7輯,上海古籍出版社,2018年5月,頁91-117。


21. 彔簋

●䵼(

釈文はこの字(以下、△)を、「䵼」字とする。
「△」字はかつて《玉篇》に「煮也」とある「䵼」字とされてきたが、現在は「肆/逸」字と解釈するのが一般的である。実際のところ、「△」字が「爿」を声符とする形声字であるという証拠はない。
しかし、
  1. 衛肈乍(作)氒(厥)文考己中(仲)寶鼎。
    衛鼎(西周中期,《銘圖》02346)
  2. 湯(璗)鐘一
    多友鼎(西周晩期,《銘圖》02500)
  3. 戎𫷂乍(?)氒(?)父宗彝
    戎𫷂卣(西周早期,《銘圖》13209)
  4. 麃父乍(作)𢦚䢊從宗彝
    麃父卣(西周早期,《銘圖》13229)
  5. 宗彝一
    繁卣(西周中期,《銘圖》13229)
  6. 巿鉣用宜。
    秦政伯喪戈(春秋早期,《銘圖》17356)
  7. 巿魼用宜。
    秦子矛(春秋早期,《銘圖》17670)
例1~7の字はみな「鼎」が「兔」になっている以外は、「△」字と同様「爿」「肉」「刀」などに従う。かつ、例1の字の用法は彔簋の「用乍(作)文且(祖)辛公寶𣪘」の「△」字の用法と完全に同じである。また、例1の字と同形の例2の字の用法は例3, 4, 5の字と同じである。例6と例7も同じ用法である。「△」字と上記の例1~7の字は間違いなく同一字である。
例7の字は「兔」と「辵」に従い、明らかに「逸」字であり、ゆえに「△」字も「逸」字とすべきである。金文中のこの字の解釈は参考文献参照。

<参考>
陳劍(2008)《甲骨金文舊釋“䵼”之字及相關諸字新釋》;《出土文獻與古文字研究》第2輯,復旦大學出版社,2008年8月,頁13-47。
蘇建洲《釋〈上博九・成王爲城濮之行〉的“肆”字以及相關的幾個問題》;《中正漢學研究》第24期,2014年12月,頁41-65。


23. [⿰⿱⿰彖彖口攵]卣

●[⿰⿱⿰彖彖口攵](

釈文はこの字(以下、△)を、「⿰⿱⿰彖彖口攵」と隷定し、読みを「彖」からとって「たん」とする。
「△」字の左上部は「彖()」とは明らかに形が異なり、この隷定と読みは正確ではない。この字の左上部は「㣈」である。


25. 楷侯簋蓋

●𫳇(

釈文はこの字(以下、△)の読みを「きゅう」とする。参考文献に挙げられている『金文通釈』で「△」字を「休」としたのに従っているものと思われる。
ここにおける「△」字が「休」「賜」「光」等の字と同様の意味であることは多くの研究者が認めるところであるが、「休」と読むのは確実に誤りである。
  1. 爯對揚王不(丕)顯休
    爯簋(西周中期,《銘圖》05233)
「休△」は同義の単語を重ねた熟語であろう。
  1. 對揚朕考易(賜)休,用𢆶(兹)彝。
    孟簋(西周中期,《銘圖》05174)
楷侯簋や爯簋と違い、孟簋において「△」字は器を作るという意味の動詞に用いられている。いずれにせよ「休」字と同時に現れる以上この字を「休」と解釈することは不可能である。
現在では、「△」字は戦国竹簡において「從」「漸」等に用いられている字と同一字とし、楷侯簋や爯簋の例は「寵」と読み、孟簋の例は「造」と読むのが定説である。参考文献参照。

<参考>
陳劍(2006)《釋造》;《出土文獻與古文字研究》第1輯,復旦大學出版社,2006年12月,頁55-100。





2019/11/19

泉屋博古館分館でやってる「金文展」に行った

泉屋博古館分館で11月9日から開催されている「金文展」に行ってきた。

僕が見てきたのは、開催前日に行われた「ブロガー内覧会」というもので、ようは記者は先行して見ていいよというヤツである。そういうわけで本来撮影禁止のところ、許可を得て撮影ができたので、ここでレポートしたい。


2018/11/21

「労(勞)」の字源

2018年11月18日付日本経済新聞の以下の記事に「労」についての記述があった。

(遊遊漢字学)二宮尊徳像なき時代の「勤労」 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO37843480W8A111C1BC8000/
「労」(本来の字形は「勞」)は二つの《火》と《冖》(家の屋根)と《力》からできており、その解釈にはいくつかの説があるが、一説に屋根が火で燃える時に人が出す「火事場の馬鹿力」の意味から、「大きな力を出して働く」ことだという。
この記事を書いた阿辻氏が編集に加わっている『新字源』改訂新版には以下のようにある。
力と、熒(𤇾は省略形。家が燃える意)から成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す。
上記の説は《説文》段注をもとにしたものと思われるが、誤りである。

このほか、インターネットサイトや字書・辞典等で「労(勞)」の字源を「熒+力」としているものが多いが、「労(勞)」は「熒」とは無関係であり、みな誤りである。

2017/08/06

大熊肇『字体変遷字典:【女】』訂補

各文中で△は該字を示す。

P214「奴」字第1行第3列“甲骨”

この字形(摹本)の出典は《合集》8251正である。
  1. 〼[王占]曰:吉。〼□曰𫭠(往)仌〼□毓。
    《合集》8251正;典賓
△はと小点に従う。一般に「女」旁は跪いた姿を描き、足を伸ばしたのように作るのは稀である。逆に、(1)にも用いられている「毓」字()は、一般に足を伸ばした「女」旁()と上下逆向きの「子」と小点に従う。したがって、△は「毓」から派生した字、或いは「毓」の訛字と考えられる。
また、この字はこの片にしか見えず、残辞で文意も明らかではない。“奴”と隷定するのは良いとしても、後代の「奴」字との繋がりは認められず、「奴」の甲骨文として扱うのは不適と思われる。

P214「好」字第1-2行第1列“甲骨”、第3-4行第1列“金文”、第1-2行第2列“金文”

殷墟甲骨文や商金文には「帚(婦)好」が多く見られる。
  1. 已丑卜,㱿,貞:翌庚寅,帚(婦)好娩。
    《合集》154;典賓
  2. 辛丑卜,㱿,貞:帚(婦)好㞢(有)子。
    《合集》94正;典賓
「婦好」は武丁の妻で、金文はその墓から出土した銅器のものである。
甲骨文には「婦好」のほかに「婦妌」「婦姼」「婦娘」など多くの「婦某」が多数みられる。「婦」は王の配偶者、あるいはなんらかの身分・地位をもった者の称号である。下一字はは人名・族名を表しており、「婦井」「婦多」「婦良」の例があることからもわかるように、女偏は「婦」の人名を表す際にしばしば付け加えられるものである。
したがって、「婦好」の「好」は「子」に女偏を加えた人名専用字で、後代の【喜好】の「好」とは関係がない。同様に甲骨文にみえる女に従う字の多くは婦名専字で、後代の同形字とは無関係である。

また第3行第1列“金文”の字は二つの「女」に従うが、右側は「婦」の女偏である。これは「婦好」のそれぞれの女偏を対称に配置して芸術性を高めたものである。商代金文の族徽銘文はロゴのようなものなので、文字として考える場合注意が必要である。

P216「如」字第1行第1列“甲骨”

「女」は手を胸の前で交差させた形であるが、△が従うのは後ろ手に縛られた人の象形である。△は「訊」の初文で、黄組甲骨文や西周金文では「幺」が意符として加えられている。
参考:張亞初《甲骨金文零釋・释訊》,《古文字研究》第六輯,中華書局1981年;宋鎮豪、段志洪主編《甲骨文獻集成》第十三册,四川大學出版社2001年。等

P216「如」字第2行第1列“甲骨”

この字形(摹本)の出典は《合集》13944である。
  1. □巳[卜,]貞:今娩。
    《合集》13944;典賓
△は「好」字で、原拓は「子」の下部が潰れて鮮明ではないため、模写を誤ったものである。卜辞は婦好の出産に関するものである。《合集》2688は「好」字をに作り、△字に近しい。

P216「如」字第3行第1列“甲骨”

原拓は極めて不鮮明だが、出産に関する卜辞であることから、おそらく△は婦名専字である。西周金文に「如」字は見られず、「女」が用いられていることからも、甲骨文の“如”と後代の「如」は別であると見てよい。

P216「妃」字第3行第1列“甲骨”、第2行第5列“戦国・金文”

△(「𡚱」)は「女」と「巳」に従うが、これを「妃」とする根拠はない。裘锡圭は甲骨文中の「女」あるいは「妾」と「卩」に従う字が「妃」「配」の初文であると指摘する。
参考:陳劍《釋〈忠信之道〉的“配”字》,《國際簡帛研究通訊》第二卷第六期,2002年;陳劍《戰國竹書論集》第14-23頁,上海古籍出版社2013年。

P216「妃」字第1-4行第2列“金文”

△は「女」と「己」に従う。金文では全て人名に用いられている。
  1. 𩵦(蘇)甫(夫)人乍(作)𫲞(姪)襄𧷽(媵)般(盤)。
    蘇夫人盤,《銘圖》14405;周晩

《國語・晋語一》「殷辛伐有蘇,有蘇氏以妲己女焉。」韋昭注「有蘇,己姓之國,妲己其女也。」、△は「己」に女偏を加えた字で、後代の「妀」である。《説文・女部》「妀,女字也。从女,己聲。」、「妀」と「妃」は別字である。

P218「妨」字第1行第3列“銀雀山竹簡”

この字形(摹本)の出典は銀雀山竹簡《晏子》530である。銀雀山竹簡の書写年代は前漢で、先秦のものではない。

P218「委」字第2行第2列“甲骨”

「禾」と「女」に従う「委」は秦簡以前には見られず、この字を「委」とする根拠はない。後代の「委」とは確実に別字である。

P220「妾」字第1行第1列“甲骨”

この字は「羊」と「女」に従う婦名専字である。頭上に何かをつけた女性の象形である「妾」とは明らかに別字。

P220「妾」字第1行第2列“金文”、第1行第6列“西狹頌”、第1行第9列“敬史君碑”

金文の字形(摹本)の出典は己侯簋(《銘圖》04673)である。「羊」と「女」に従う字で、明らかに「姜」字である。《説文・女部》「姜,神農居姜水,因以爲姓。」、「姜」と「妾」は別字である。

P220「妾」字第2行第3列“子彈庫楚帛”

この字形(摹本)の出典はおそらく子彈庫帛書《丙篇・十月》である。「羊」と「我」に従い、「義」字である。

P222「姓」字第1行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「姓」とは無関係の別字である。

P222「姓」字第1行第2列“金文”

この字形(摹本)の出典は兮甲盤(《銘圖》14539)である。
  1. 其隹(唯)我者(諸)𥎦(侯)、百
    兮甲盤,《銘圖》14539;周晩
{姓}に用いられているが、字体は明らかに「生」である。詞義によって字を掲載するのか、字体によって配列するのか一貫性がない。

P224「姦」字第1行第1列“殷・金文”、第3行第1列“殷・金文”

この両字は婦名専字で、後代の「姦」「奸」とは無関係の別字である。

P224「姫」字第2行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「姫」とは(また無論「姬」とも)無関係の別字である。

P226「姪」字第1-2行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「姪」とは無関係の別字である。

P226「姪」字第2行第3列“金文”

この字形(摹本)の出典は王子△鼎(《銘圖》01749)である。銘文は極めて不鮮明で、△を「姪」と断定するのは問題がある。董蓮池は「致」の変化した字であるとする。
参考:董莲池《释王子姪鼎铭中的“致”》,《中国文字研究》第十六辑第19-21頁,上海人民出版社2012年。

P226「娯」字第1行第9列“呉瑱墓誌”

呉瑱墓誌は後代の偽刻であり、北魏の墓誌銘ではない。
参考:澤田雅弘《偽刻家Xの形影 : ―同手の偽刻北魏洛陽墓誌群―》,書学書道史学会《書学書道史研究》No.15第3-21頁,2005年。等

P226「娠」字第1行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「娠」とは無関係の別字である。

P226「娘」字第1行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「娘」とは無関係の別字である。

P228「婁」字第1行第1列“甲骨”

この字形(摹本)の出典は《合集》8175であるが、原拓は極めて不鮮明で、この字形には問題がある(先に述べたが「女」をこの形に作ることは稀である)。また模写が正確だったとしても、「婁」は「角」を声符として含む字であるから、「日」に従っている△を「婁」とすることはできない。

P228「婁」字第2行第2列“睡虎地秦簡”

『字体変遷字典』における「睡虎地秦簡」の字形の出典は全て張守中撰集《睡虎地秦簡文字編》(文物出版社,1994年)であるが、該書の摹写字形は稚拙で、ほとんどもとの書法を伝えていない。該書において△の出典は睡虎地《日書甲種・取妻出女》6背となっているが、原字の中央部に縦画は存在せず、摹写の誤りである。