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2020/03/21

泉屋博古館『金文-中国古代の文字-』釈文の訂正

1. 頌簋蓋

釈文はこの字(以下、△)を、「貯」字と隷定し、「貯蔵庫」と翻訳する。
「△」字はかつて「貯」とされていたが、80年代に「賈」と読むべきであるという指摘がされた。 当初、「△」字の上部と「賈」字の上部には字形上隔たりがあることからこの説は広くは受け入れられなかったが、戦国文字研究の進展にともなって現在は「賈」説が主流となっている。 主な根拠は以下の通り。
  1. 魯方彝蓋(西周中期,《銘圖》13543)銘文中の「△休多贏」は、《左傳・昭公元年》「賈而欲贏,而惡囂乎?」に類似している。
  2. 「△」字が使われている裘衛諸器、格伯簋、兮甲盤などは交易に関する文章が綴られている。これらにおいて「△」字を「賈」や「價」と解釈するのは自然であるが、「貯」では通じないかあるいは文脈上不自然になる。なお「貯」を「予」(あたえる)の通仮とする説があるが、両字は実際には漢代以前には通仮不可能である上、この意味の「予」の通仮に用いられる「舎」字が同銘文上に現れているため用字習慣上からも否定される。
  3. △子己父匜(西周晩期,《銘圖》14958)は荀侯稽匜(春秋早期,《銘圖》14958)とともに山西省聞喜県から出土した。賈・荀はともにかつてこの付近に存在し、晋に滅ぼされた国である。賈国は《左傳・桓公九年》「荀侯、賈伯,伐曲沃。」など史書にも記載があるが、逆に「貯」なる国はない。このほか△伯簋(西周晩期,《銘圖》05130-05132)、△叔鼎(春秋早期,《銘續》0203)も山西出土とされている。
  4. 春秋戦国出土文献には「△」字が人名に用いられている例が多く存在する。伝世文献には「賈」という名の人物はよく見られる。
  5. 清華簡《繫年》「鄭之△人弦高」が秦軍を労ったという話は、《左傳・僖公三十三年》「鄭商人弦高」が秦軍を労ったという話と対応する。
「△」字と「賈」字の上部の関係は未だ十分な関係がなされてはいないものの、戦国時代出土文献では「△」字が「賈」としか読めない部分で用いられており、「字形が「賈」に似ていないから」という理由の否定意見はもはや通らなくなった。
以上より、「△」字は「貯」字ではなく「賈」字であり、ここでは「商人」と翻訳すべきである。
なお「新造」を「新しく作った」と翻訳するが、これは官名である(包山楚簡などにも見られる)。

<参考>
李學勤(1981)《重新估價中國古代文明》;《新出青铜器研究》,文物出版社,1990年6月,頁8-9。
李學勤(1984)《兮甲盤與駒父盨――論西周末年周朝與淮夷的關係》;《新出青铜器研究》,文物出版社,1990年6月,頁144-145。
李學勤(1985)《魯方彝與西周商賈》;《當代學者自選文庫・李學勤卷》,安徽教育出版社,1998年12月,頁305-307。
李學勤(1992)《包山楚簡中的土地買賣》;《綴古集》,上海古籍出版社,1998年10月,頁152-155。
裘錫圭(1992)《釋“賈”》;《裘錫圭學術文集・金文及其他古文字卷》,復旦大學出版社,2012年6月,頁440-443。
彭裕商(2003)《西周金文中的“賈”》;《考古》2003年第2期,頁153-157。


7. 亜𡩜夫鼎

「𡩜夫」を二字と解釈しているが、これは一文字の族名(族徽)である。また「止」も族名である。根拠は以下の通り。
  1. 「𡩜」のみの族名を記した器が存在しない。
  2. 「夫」のみの族名を記した器が存在しない。
  3. 「𡩜夫」のみ記された器は存在する。
  4. 「𡩜」字および「憲」字は「害」を声符とする字であるが、同じく「害」を声符とする字に「㝬」字が存在する。
  5. 「止(址)」のみ記された器は存在する。
  6. 「𡩜夫止」と記された器と「止(址)」のみ記された器が同一地点から出土している(1990年10月安陽)。
したがってこの器の名前は「亜𫴂止鼎」あるいは「亜㝬址鼎」とするのがよいと思われる。


9. 宰椃角

●王各宰椃从

釈文は「王格。宰椃从。」と区切って読み、器主は「宰椃」という人物であったと解釈する。しかし、これでは「格」の目的語がなく不自然である。他の器の銘文中の「(王)格」はほぼ必ず後ろに場所が示されている(「格」と場所の間に「于」が入ることも多い)。

この部分は「王格宰。椃从。」と読むべきと思われる。戍𫲱鼎(商晩期,《銘圖》02320)に「才(在)」とある。「」字はしばしば「宗」字と解釈されるが、この字の中部は「示」とは明らかに異なり、むしろこの字は「宰」字に近い。宰椃角・戍𫲱鼎ともに、「𪧶」地に存在する「宰」と呼ばれる地点ないし施設を表していると解釈するのが自然である。
ゆえに器名も「椃角」とするのがよいと思われる。

<参考>
謝明文(2012)《商代金文的整理與研究》,復旦大學年博士論文,2012年5月,頁482-483。


10. 執父辛簋

釈文はこの字(以下、△)を、「執」字とする。解説に「執は……甲骨文などには人物の両手に器具を取り付けて拘束するような字姿で表される」とあるのは正確である、それゆえにこの器の「△」字を「執」字と考えることはできない。

甲骨金文において「執」字とされている字は、のような字形で、これは上述の通り人を拘束した形である。「△」字は明らかにこれとは形が異なる。
  1. 甲午貞:令戎麇。十二月。
    《合集》10389(賓組)
  2. 己巳貞:〼井方〼。
    《拼集》222(歴組)
  3. 𡀚(訊)隻(獲)𡿿(馘)。
    𦵯簋(西周中期,《銘圖》02383)
「執」字は、殷墟甲骨文では獲物や敵を捕らえること等に用いられる。西周金文では多くが「執訊」に用いられており、この語は《詩・小雅・出車》「執訊獲醜」など伝世文献にも見られる。

「△」字は殷墟甲骨文にも用いられているが、その用法は「執」とははっきり異なる。以下に例をいくつか挙げる。
  1. 翌日辛王其省田,入,不雨。
    夕入,不雨。
    《合集》28628(無名組)
  2. 甲寅[卜,尹,]貞:王賓祼,亡𡆥。才(在)九月。
    貞:亡拇(吝)。
    甲寅卜,尹,貞:王賓夕祼,亡𡆥。才(在)九月。
    《合集》25488(出組)
  3. 王其田,丁𥁰(向)戊其,亡𢦏(災),弗每(悔)。
    弜(勿),其每(悔)。
    《合集》27946(無名組)
  4. 丙子卜:祼戉(歲)。
    《合集》30745(無名組)
  5. 辛酉,貞:在宀*[⿱我祭*]其
    辛酉,貞:[⿱我祭*]弜(勿)戠禾。
    《合集》34399(歴組)
例4,5では「△」と「夕」が対になっている。したがって「△」は「夕」と同じく時間帯を表す言葉である。例6は丁の日から戊の日にかけてのことを占っていることから、「△」が指す時間帯は深夜~早朝のどこかであることがわかる。
また商金文には「△」族徽と「或」族徽をあわせた(《銘圖》08325),(《銘圖》09843)が見られる。

「△」字は「丮」と「屮/木」に従う字である。「丮」字には以下の用例がある。
  1. 乙亥卜,王𡉚(往)田,亡𢦏(災)。
    弜(勿)
    《合集》33413(歴組)
  2. 丙午卜:祼〼
    《合集》34621(無名組)
  3. 〼才(在)〼宀*〼其〼叒(諾)。
    《合集》16415(賓組)
例9,10の「丮」字の辞例は例6,7の「△」字の辞例と同じである。例11の文は明らかでないが、例8と関連する可能性がある。
また商金文には「丮」族徽と「或」族徽をあわせた(《銘圖》13217)が見られる。

「丮」に従う字に「𡖊」字がある。この「𡖊」字は多くの研究者によって「夙」と解釈されている。
  1. 王其田,叀犬𠂤(師)匕(比),禽,亡𢦏(災)。
    王其田,叀成犬匕(比),禽,亡𢦏(災)。
    弜(勿)𡖊
    《合集》27915(無名組)
例12の「𡖊」字の用法は例6,9の「△/丮」字の用法と同じである。また「夙」(早朝)は例6より推察される「△」の時間帯範囲内である。

以上より、「△」字は「丮」字や「𡖊」字とともに甲骨文において「夙」(早朝)を表す字である可能性が非常に高く、また「執」とは字形・用例とも異なる別字である。
したがって器名は「[⿰屮丮]父辛簋」あるいは「夙父辛簋」とすべきである。

<参考>
沈培(1995)《説殷墟甲骨卜辭的“𬂤”》;《原學》第3輯,中國廣播電視出版社,1995年8月,頁75-110。
謝明文(2018)《説夙及其相關之字》;《出土文獻與古文字研究》第7輯,上海古籍出版社,2018年5月,頁30-49。


20. 𨕘甗

●圧(

釈文はこの字(以下、△)を、「圧」字とする。
「△」字には以下の用例がある。
  1. 休白(伯)大(太)師𬎲(任)𩛥臣皇辟。
    師𩛥鼎(西周中期,《銘圖》02495)
  2. 天子事(使)㲽(梁)其身邦君大正。
    梁其鐘(西周晩期,《銘圖》15522-15527)
  3. 白(伯)庶父乍(作)
    伯庶父匜(西周晩期,《銘圖》14888)
例1,2は𨕘甗と同様の辞例である。例3は器名として使われている。

「△」字は「尸」と「月」とに従う字である。造字方法を考えるとこの字は象形字とは考え難く、「尸」「月」のどちらかは声符である可能性が高い。
「尸」字は先秦文献ではしばしば「夷」に用いられるが、「夷」には語助詞の用法がある。 《周禮・秋官・行夫》「使則介之」鄭玄注「《故書》曰:“夷使。”……玄謂“夷,發聲。”」、《周禮》古書の「夷使」は金文の「△使」と完全に同じである。
ゆえにこの「△」字は「夷」と読むのが自然であり、文中では意味をもたない。例3は「匜」の通仮と考えられる。

●于㝬侯𨕘暦

「𥎦(侯)」の下に重文符号と「蔑」字がある。この部分は「于㝬侯侯蔑𨕘暦」とすべきである。

●暦(

釈文はこの字(以下、△)を、「暦」字とする。
「△」字は西周金文中に多く見られるが、この字の上部は「秝」ではなく、「林」と書かれることが多く、また特に早期には「⿲木丄木」と書かれることが多い。 最も早い例は商代晩期の小子[⿱夆囧]*卣(《銘圖》13326)のである。 小臣𬣆簋(西周早期,《銘圖》05269-05270)にこの「⿲木丄木」を含む字が見られる。同じ器でこの字はとも書かれる。 この字は一般に「懋」字と解釈されている。したがって「△」字も「懋」に近い音であった可能性が非常に高い。
また、「歷」字は「⿱秝止」の形で殷墟甲骨文から存在し、上部を「林」「⿲木丄木」のように書く形は見られず、「△」字のような「蔑」とセットで使う例もない。
ゆえに「△」字は「歴/暦」とは無関係の字である。金文中のこの字の解釈は参考文献参照。

<参考>
于豪亮(1984)《陝西扶風縣强家村出土虢季家族銅器銘文考釋》;《古文字研究》第9輯,中華書局,1984年1月,頁259。
陳劍(1999)《青銅器自名代稱、連稱研究》;《中國文字研究》第1輯,廣西教育出版社,1999年7月,頁339-340。
陳劍(2018)《簡談對金文“蔑懋”問題的一些新認識》;《出土文獻與古文字研究》第7輯,上海古籍出版社,2018年5月,頁91-117。


21. 彔簋

●䵼(

釈文はこの字(以下、△)を、「䵼」字とする。
「△」字はかつて《玉篇》に「煮也」とある「䵼」字とされてきたが、現在は「肆/逸」字と解釈するのが一般的である。実際のところ、「△」字が「爿」を声符とする形声字であるという証拠はない。
しかし、
  1. 衛肈乍(作)氒(厥)文考己中(仲)寶鼎。
    衛鼎(西周中期,《銘圖》02346)
  2. 湯(璗)鐘一
    多友鼎(西周晩期,《銘圖》02500)
  3. 戎𫷂乍(?)氒(?)父宗彝
    戎𫷂卣(西周早期,《銘圖》13209)
  4. 麃父乍(作)𢦚䢊從宗彝
    麃父卣(西周早期,《銘圖》13229)
  5. 宗彝一
    繁卣(西周中期,《銘圖》13229)
  6. 巿鉣用宜。
    秦政伯喪戈(春秋早期,《銘圖》17356)
  7. 巿魼用宜。
    秦子矛(春秋早期,《銘圖》17670)
例1~7の字はみな「鼎」が「兔」になっている以外は、「△」字と同様「爿」「肉」「刀」などに従う。かつ、例1の字の用法は彔簋の「用乍(作)文且(祖)辛公寶𣪘」の「△」字の用法と完全に同じである。また、例1の字と同形の例2の字の用法は例3, 4, 5の字と同じである。例6と例7も同じ用法である。「△」字と上記の例1~7の字は間違いなく同一字である。
例7の字は「兔」と「辵」に従い、明らかに「逸」字であり、ゆえに「△」字も「逸」字とすべきである。金文中のこの字の解釈は参考文献参照。

<参考>
陳劍(2008)《甲骨金文舊釋“䵼”之字及相關諸字新釋》;《出土文獻與古文字研究》第2輯,復旦大學出版社,2008年8月,頁13-47。
蘇建洲《釋〈上博九・成王爲城濮之行〉的“肆”字以及相關的幾個問題》;《中正漢學研究》第24期,2014年12月,頁41-65。


23. [⿰⿱⿰彖彖口攵]卣

●[⿰⿱⿰彖彖口攵](

釈文はこの字(以下、△)を、「⿰⿱⿰彖彖口攵」と隷定し、読みを「彖」からとって「たん」とする。
「△」字の左上部は「彖()」とは明らかに形が異なり、この隷定と読みは正確ではない。この字の左上部は「㣈」である。


25. 楷侯簋蓋

●𫳇(

釈文はこの字(以下、△)の読みを「きゅう」とする。参考文献に挙げられている『金文通釈』で「△」字を「休」としたのに従っているものと思われる。
ここにおける「△」字が「休」「賜」「光」等の字と同様の意味であることは多くの研究者が認めるところであるが、「休」と読むのは確実に誤りである。
  1. 爯對揚王不(丕)顯休
    爯簋(西周中期,《銘圖》05233)
「休△」は同義の単語を重ねた熟語であろう。
  1. 對揚朕考易(賜)休,用𢆶(兹)彝。
    孟簋(西周中期,《銘圖》05174)
楷侯簋や爯簋と違い、孟簋において「△」字は器を作るという意味の動詞に用いられている。いずれにせよ「休」字と同時に現れる以上この字を「休」と解釈することは不可能である。
現在では、「△」字は戦国竹簡において「從」「漸」等に用いられている字と同一字とし、楷侯簋や爯簋の例は「寵」と読み、孟簋の例は「造」と読むのが定説である。参考文献参照。

<参考>
陳劍(2006)《釋造》;《出土文獻與古文字研究》第1輯,復旦大學出版社,2006年12月,頁55-100。





2019/11/19

泉屋博古館分館でやってる「金文展」に行った

泉屋博古館分館で11月9日から開催されている「金文展」に行ってきた。

僕が見てきたのは、開催前日に行われた「ブロガー内覧会」というもので、ようは記者は先行して見ていいよというヤツである。そういうわけで本来撮影禁止のところ、許可を得て撮影ができたので、ここでレポートしたい。


2018/11/21

「労(勞)」の字源

2018年11月18日付日本経済新聞の以下の記事に「労」についての記述があった。

(遊遊漢字学)二宮尊徳像なき時代の「勤労」 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO37843480W8A111C1BC8000/
「労」(本来の字形は「勞」)は二つの《火》と《冖》(家の屋根)と《力》からできており、その解釈にはいくつかの説があるが、一説に屋根が火で燃える時に人が出す「火事場の馬鹿力」の意味から、「大きな力を出して働く」ことだという。
この記事を書いた阿辻氏が編集に加わっている『新字源』改訂新版には以下のようにある。
力と、熒(𤇾は省略形。家が燃える意)から成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す。
上記の説は《説文》段注をもとにしたものと思われるが、誤りである。

このほか、インターネットサイトや字書・辞典等で「労(勞)」の字源を「熒+力」としているものが多いが、「労(勞)」は「熒」とは無関係であり、みな誤りである。

2018/08/20

「柿/杮(かき/こけら)」の書き分けは絶対ではない

漢字には、「シ(音)、かき(訓)」と読む字と、「ハイ(音)、こけら(訓)」と読む字がある。字源も表す語も異なる、別字種である。

本やTV番組やインターネット等で、この両字について「「かき」の旁は5画で、「こけら」の旁は縦棒を貫いて4画で書く」のだという意見が存在する。両字を書くときに、この書き分けをすることは問題ない
しかし、さらに、「上記の書き分けをしなければ誤りである」つまり「旁を5画で書くのが「かき」で、旁を4画で書くのが「こけら」である」という考えも存在している。が、このような「書き分けなければならない」という考えは不適である
世の中には「漢字は、各1字が、それぞれ別のたった1つの字体をもつ」のような考え方が強かれ弱かれ存在し(この考え方こそが誤りである)、「かき」と「こけら」の書き分けもその考えから生まれたものだと思われる。

「かき」と「こけら」の書き分け問題は、「I(大文字アイ)」と「l(小文字エル)」のそれに似る。
「大文字アイ」と「小文字エル」は基本的には両方とも縦棒1本であるが、長さを変えたり、端部を曲げたり、あるいは上や下に短い横棒(セリフ)をくっつけたりして区別することもある。このような区別(書き分け)は、人によって異なり、「こう書かなければならない」といったルールは存在しない。「「かき」の旁を5画にして「こけら」の旁を4画にする」というのも、書き方で両字を区別する方策の一例でしかない。

中国の印刷字体を見るとたしかに「旁5画=「かき」、旁4画=「こけら」」が規範となっているが、日本にはそのような決まりはない。「かき」は常用漢字なので(少なくとも漢字テストにおいては)旁5画で書くべき字であると思われるが、「こけら」は表外字なので基準はなく、「かき」同様に旁5画で書いても誤りとはいえない。


2018/07/22

「解」は「牛を切り分けること」ではない【遊遊漢字学】

2018年7月22日付日本経済新聞の以下の記事に「解」についての記述があった。

(遊遊漢字学)「解」とは牛を切り分けること 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33207400Q8A720C1BC8000/
「解」は左に《角》(ツノ)があり、右側は《刀》と《牛》である。つまり牛のツノを刀で切り落としているさまを表していて、牛を解体することから、広く一般的にものを切り分けることを「分解」というようになった。
この記述は誤りである。

たしかに「解」字は「角+刀+牛」からなるが、だからといって{解}が【牛の角を刀で切り分けること】であるわけではない。そんな意味の狭い言葉は不自然である。「食指が動く」の故事で知られる《左傳・宣公四年》に「宰夫將黿。」とあるように、「解」字は古籍において牛以外にも普通に使われている。《説文》の説明も単純に「解,判也。」であり、漢代の学者も【牛の角を刀で切り分けること】が本義であるとは考えていない。
記事では【牛の角を刀で切り分けること】から引伸して【切り分ける】の意味になったと言いたいようだが、そうではなく、{解}は最初から【分ける、解く】といった意味である。【分ける】という意味を表示するのに、牛の角を分解する様子を描いたにすぎない。

表意字体であっても、字形によって意味を過不足なく完全に表現するのは不可能である。ゆえに字形はそのようには作られていない。これはピクトグラムやアイコンでも同じことで、男子トイレは「直立した男性」の絵で表され、添付ファイルは「クリップ」の絵で表されるように、その見た目は「意味を過不足なく説明する」作用があるのではなく、「意味を暗示させる」作用をもっているのである。暗示方法にはいろいろあるが(ところでトイレのアイコンはトイレを連想させるものが一切ないという点で特徴的だと思う)、漢字においては、「解」字に見られるような具体的事物の様子でもって意味を表現するものが多い。よって、【分ける】義を表すのに牛の角を分解する様子を用いるように、しばしば字形が見せる情景は実際の詞語の意味に比べてより細かく狭くなる。このような現象を「形局義通」という。
「形局義通」現象については早くから指摘がされており、清の学者である陳澧は《東塾讀書記・小學》において「字義不專屬一物,而字形則畫一物。」と述べ、【高い】という意味を高楼の象形で表した「高」字などを例に挙げている。その後、沈兼士《國語問題之歷史的研究》等の論文のほか、裘錫圭《文字學概要》や蘇建洲《新訓詁學》といった初学者向けの入門書においても、陳澧の一節とともに複数の実例を挙げて「形局義通」現象を解説し、字形が示す情報を言葉の意味と誤解しないよう注意すべきであるとしている。
このように「形局義通」現象は古文字学・訓詁学の基本的事項である。これを理解していないと、「{解}は【牛の角を刀で切り分ける】という意味から【分ける】という意味を派生した」「{月}はもともと【三日月】という意味で、後に月一般を指すようになった」「{木}はもともと【左右に枝が一本ずつ出て、根は左中右に計三本生えている木】という意味だった」等の勘違いをしてしまう。このような勘違いも「望文生義」の一種といえよう(望文生義とは、文章を読む際に字面から勝手に意味を想像して誤った読解をすることで、訓詁学等の分野で気をつけるべきこととされているものの一つである)。

なお、現在確認できる出土文字資料においては、「刀」に従う「解」字は戦国晩期になって初めて現れる字である。殷周代の甲骨金文に「𦥑+角+牛」からなる字があり、その字体から一般にこの字が「解」の初文であるとされている。そのため「刀」は後に追加された意符(義符)である可能性があり、そうであれば字形の解釈としても「切り分ける」は誤りとなる。

2018/07/16

「辛」の字源は「入れ墨に用いる針」ではない

漢字カフェ」内の以下の記事に「辛」字の字源についての記述があった。

あつじ所長の漢字漫談35 激辛もほどほどに | コラム | 日常に“学び”をプラス 漢字カフェ
http://www.kanjicafe.jp/detail/8099.html
 トウガラシなどのからい味を「辛」という漢字で表現しますが、この「辛」は、もともと入れ墨を入れるのに使う針をかたどった文字でした。
 この入れ墨を入れるために皮膚を傷つけるのに使われるのが「辛」という針で、そこから「辛」が「罪」という意味をあらわすようになりました。このように「辛」が犯罪人に対する刑罰の意味に使われ、そこから「つらい」という意味をあらわし、そこからさらに意味が拡張したのが、味覚の「からさ」なのです。
この、「辛」字の本義が「入れ墨を入れるのに使う針」であるというのは、文字学的説得力を持たない、誤った推論と根拠のない憶測による説である。


2018/03/05

誤りだらけのサイト『漢字の音符』から学ぶ古文字考釈の心得

古文字に関して、非学術的ないわゆるトンデモを語るサイトは幾多あるが、『漢字の音符』はそのうちの代表的なものである。しかし、何がおかしいのかを検証することで逆にどうすべきかを学ぶことに価値があると考え、いま敢えていくつかの指摘を行いたいと思う。
ここでは『音符 「襄ジョウ」  <ゆたかな耕作地>』という記事を例にして、このサイトが犯している「古文字考釈」に対する誤りを述べる。

2018/01/19

六書の問題と誤解

※この記事では《説文》における六書と、《説文》における字源説の話をしています。

漢字字体の造字法の分類として「六書」というものがある。六書は《説文》で提唱され、その後《説文》が神格化されたため、今日まで六書分類は文字学分野でよく利用されている。しかし、この六書には多数の問題があり、また誤解も多い。この記事ではそれについて幾つか紹介する。

「六書」の問題と誤解

「六書」の語の初出は《周禮・地官・保氏》「保氏掌諫王惡,而養國子以道,乃教之六藝。一曰五禮,二曰六樂,三曰五射,四曰五馭,五曰六書,六曰九數。」である。とりあえずこの「六書」の意味はよくわからない。漢代の経学者は、《周禮》鄭玄注引《周禮保氏注》「象形、會意、轉注、處事、假借、諧聲也。」、《漢書・藝文志》引《七略》「象形、象事、象意、象聲、轉注、假借,造字之本也。」、そして《説文》叙の最初の方には「指事」「象形」「形聲」「会意」「轉注」「假借」の六つを挙げ、つまり六書とは六種類の造字法のことであるという解釈を行ったようである。しかし、《説文》叙の後ろの方では「古文」「奇字」「篆書」「佐書」「繆篆」「鳥蟲書」の六つの書体が六書だという。この六書は《周禮》の「六書」のことではないかもしれないが、《周禮》の「六書」から名称がとられたのは明らかである。したがって、《周禮》の「六書」の意味は結局のところ今もよくわかっておらず、六種類の造字法やら六種類の書体やらというのは後代の説の一つでしかない。
つまり六書説において、なぜ造字法が六種類に分類されているのかというと、「六書」の語に合うように六種類に設定されたからということになる。造字法を分類していった結果たまたま六種類になったわけではない。後代に《説文》が神格化されたため、なんとか整合性のとれる説が考えられたりもしているが、結局この分類は無理矢理ということである。事実、転注と仮借は明らかに造字法ではなく、ほかの四つと性格が異なる。

「全ての漢字が六書のどれかに分類できる」という誤解がある。もしかしたら誤解ではないかもしれないが、少なくとも《説文》にそんなことは書かれていないし、六書のどれに相当するかが説明されている字はごく一部だけである。現在の漢和辞典・漢字字典の多くの「解字」「なりたち」といった欄で、全ての漢字に対して、最初に六書のどれかが書いてあることがあるが、これは独自に各種類の定義を調節することによって「全ての漢字が六書のどれかに分類できる」ようにしたものである。
また「ある漢字は六書のどれか一つに分類できる」という誤解もあるが、これは転注と仮借の存在が反例となる。象形兼形声とかそういう例があったらおかしいという決まりはない。

「象形」の問題と誤解

《説文》叙に「倉頡之初作書,蓋依類象形,故謂之文。其後形聲相益,即謂之字。文者,物象之本。字者,言孳乳而寖多也。」とある。どうやらまず象形=文が生まれ、次に形声=字がうまれたということらしい。
「象形=文は独体字である」という誤解がある(独体字とはそれ以上偏旁分解できない字、一つの部品からなる字のこと)。《説文》にそんなことは書かれていないし、「𦙪,从肉。象形。」「舜,象形。从舛,舛亦聲。」など反例も多く存在する。特に叙において象形の例として挙げられている「日」を「从口一」の合体字としている。同様に「象形と指事を文、会意と形声を字という」「象形と指事は独体字、会意と形声は合体字」等の類も無からでた誤解である。

「会意」の問題と誤解

現状は「象形と指事は独体字、会意と形声は合体字」「全ての漢字は六書のどれか一つに分類できる」の誤解により「合体字から形声を抜いたものが会意」などとされていたりする。先に述べたように「会意だから象形ではない」「会意だから形声ではない」「象形・指事・形声ではないから会意である」という解釈は成り立たない。

《説文》叙で挙げられている会意の例は「信」と「武」、つまり「人の言うことが信」「戈を止めるのが武」といった類の字である。この例からは「安,从女在宀中。」「休,從人依木。」のような類を会意とするのは不適当に思える。
一方本文では、「喪,从哭从亾。會意。亾亦聲。」「敗,从攴貝。敗、賊皆从貝,會意。」「圂,从囗,象豕在囗中也。會意。」が会意とされている。「喪」は会意兼形声、「圂」は会意兼象形で、「安」「休」は「圂」と同類かもしれない。「敗」には「敗、賊皆从貝」とあるが、「賊」は「从戈則聲。」となっていて、結局会意がなんなのかはよくわからないが、本文の例からすれば合体字はほとんど会意に含まれるのかもしれない。

結論

六書は、はじめから多くの問題をかかえており、それに誤解が加わっているために、理論と現実の間でズレが生じている。漢和辞典・漢字字典をはじめ字源説を唱える者の多くは、独自に定義を調節してそのズレをどうにか整合化することによって、六書を利用し続けている。だが結局独自の定義で運用するなら、《説文》の六書説に従う必要は全く無い。

そういうわけで結局何が言いたいかというと、このブログでは基本的に造字法は「表意/形声」の二種類(時に下位分類を用いる)にしか分けないか、あるいは特に分類せず直接詳述する。

2018/01/15

殷墟甲骨文中の「遠」「𤞷(邇)」と関連字

この記事は裘錫圭氏が1985年に発表した論文《釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字》(以下《遠邇》)を和訳したものである。
裘錫圭が《遠邇》の初稿を書いたのは1967年のことであるが、この文章は結局発表されなかった。その後、1982年9月に《屯南》等の新出資料の発見に従って文章を書き改め、この《遠邇》は1985年《古文字研究》第十二輯において発表された。1992年、裘錫圭の著作集である《古文字論集》に収録されるにあたって末尾に追記が加えられた。1994年《裘錫圭自選集》にも収録されている。2012年《裘錫圭學術文集・甲骨文卷》に収録されるにあたりさらに注釈が加えられ、卜辞の出典には《合集》の番号が加えられた。2015年には《中西學術名篇精讀・裘錫圭卷》に収録され、陳劍氏による新出資料や研究成果にもとづいた注釈が加えられた。
いま《中西學術名篇精讀・裘錫圭卷》収録の文章に基いて《遠邇》を和訳したものをここに公開する。ただし、翻訳は原文に忠実ではない。新出資料や研究成果に従い、文章を追加・削除・書き改めるなどした。また比較的古文字に不慣れな読者でも理解できるよう一部には詳しい解説を加えた。

先に《遠邇》の要旨を述べておく。
甲骨文中に以下の諸字がある。
A」は「遠」、「a」は「袁」の古文字である。「袁」は「衣+又」及び追加声符「〇(圓)」からなり、{擐【服を着る】}の表意初文である。「袁」「遠」はともに、卜辞中では{遠【遠い・遠く】}或いは固有名詞(人名・地名)として用いられている。
C」「D」「E」は「埶」の古文字で、「𠬞(又/𦥑)+木(屮/个)+土」からなり、{藝【植える】}の表意初文である。卜辞中では「C」は本義{藝}、「D」は{設【設置する】}として用いられている。
B」「F」は「埶」に「犬」を加えた字で、西周金文の「𤞷」字であり、卜辞中では{邇【近い・近く】}あるいは固有名詞(地名)として用いられている。{邇}には「B」が、固有名詞には「F」が多用される傾向がある。

裘錫圭は《遠邇》文において、幾多の文字学的証拠を挙げて上記考釈が正しい(であろう)ことを証明している。いま世間では文字学的証拠に欠けたトンデモ字源説などが流布しているが、この《遠邇》文を通して、古文字考釈とはどのように行われるのか、「文字学的証拠」とはなにか、といったことを読み取って欲しい。
知識は関連書籍や論文を読むことで積み重ねていくものである。しかし、多少興味はあるという程度の層や、最近学び始めた者などは、どこから手をつけていいかわからないかもしれない。そこで、容易に手がとれるように日本語に翻訳した上で、いま一編の論文を例として取り上げる。裘錫圭《遠邇》を取り上げたのは、この論文に古文字考釈において重要な要素が多く詰め込まれているからである。この記事によって、初学者の最初の一歩のハードルが下がることにつながれば幸いである。

(以下、正文)