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2018/11/21

「労(勞)」の字源

2018年11月18日付日本経済新聞の以下の記事に「労」についての記述があった。

(遊遊漢字学)二宮尊徳像なき時代の「勤労」 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO37843480W8A111C1BC8000/
「労」(本来の字形は「勞」)は二つの《火》と《冖》(家の屋根)と《力》からできており、その解釈にはいくつかの説があるが、一説に屋根が火で燃える時に人が出す「火事場の馬鹿力」の意味から、「大きな力を出して働く」ことだという。
この記事を書いた阿辻氏が編集に加わっている『新字源』改訂新版には以下のようにある。
力と、熒(𤇾は省略形。家が燃える意)から成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す。
上記の説は《説文》段注をもとにしたものと思われるが、誤りである。

このほか、インターネットサイトや字書・辞典等で「労(勞)」の字源を「熒+力」としているものが多いが、「労(勞)」は「熒」とは無関係であり、みな誤りである。

2018/07/22

「解」は「牛を切り分けること」ではない【遊遊漢字学】

2018年7月22日付日本経済新聞の以下の記事に「解」についての記述があった。

(遊遊漢字学)「解」とは牛を切り分けること 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33207400Q8A720C1BC8000/
「解」は左に《角》(ツノ)があり、右側は《刀》と《牛》である。つまり牛のツノを刀で切り落としているさまを表していて、牛を解体することから、広く一般的にものを切り分けることを「分解」というようになった。
この記述は誤りである。

たしかに「解」字は「角+刀+牛」からなるが、だからといって{解}が【牛の角を刀で切り分けること】であるわけではない。そんな意味の狭い言葉は不自然である。「食指が動く」の故事で知られる《左傳・宣公四年》に「宰夫將黿。」とあるように、「解」字は古籍において牛以外にも普通に使われている。《説文》の説明も単純に「解,判也。」であり、漢代の学者も【牛の角を刀で切り分けること】が本義であるとは考えていない。
記事では【牛の角を刀で切り分けること】から引伸して【切り分ける】の意味になったと言いたいようだが、そうではなく、{解}は最初から【分ける、解く】といった意味である。【分ける】という意味を表示するのに、牛の角を分解する様子を描いたにすぎない。

表意字体であっても、字形によって意味を過不足なく完全に表現するのは不可能である。ゆえに字形はそのようには作られていない。これはピクトグラムやアイコンでも同じことで、男子トイレは「直立した男性」の絵で表され、添付ファイルは「クリップ」の絵で表されるように、その見た目は「意味を過不足なく説明する」作用があるのではなく、「意味を暗示させる」作用をもっているのである。暗示方法にはいろいろあるが(ところでトイレのアイコンはトイレを連想させるものが一切ないという点で特徴的だと思う)、漢字においては、「解」字に見られるような具体的事物の様子でもって意味を表現するものが多い。よって、【分ける】義を表すのに牛の角を分解する様子を用いるように、しばしば字形が見せる情景は実際の詞語の意味に比べてより細かく狭くなる。このような現象を「形局義通」という。
「形局義通」現象については早くから指摘がされており、清の学者である陳澧は《東塾讀書記・小學》において「字義不專屬一物,而字形則畫一物。」と述べ、【高い】という意味を高楼の象形で表した「高」字などを例に挙げている。その後、沈兼士《國語問題之歷史的研究》等の論文のほか、裘錫圭《文字學概要》や蘇建洲《新訓詁學》といった初学者向けの入門書においても、陳澧の一節とともに複数の実例を挙げて「形局義通」現象を解説し、字形が示す情報を言葉の意味と誤解しないよう注意すべきであるとしている。
このように「形局義通」現象は古文字学・訓詁学の基本的事項である。これを理解していないと、「{解}は【牛の角を刀で切り分ける】という意味から【分ける】という意味を派生した」「{月}はもともと【三日月】という意味で、後に月一般を指すようになった」「{木}はもともと【左右に枝が一本ずつ出て、根は左中右に計三本生えている木】という意味だった」等の勘違いをしてしまう。このような勘違いも「望文生義」の一種といえよう(望文生義とは、文章を読む際に字面から勝手に意味を想像して誤った読解をすることで、訓詁学等の分野で気をつけるべきこととされているものの一つである)。

なお、現在確認できる出土文字資料においては、「刀」に従う「解」字は戦国晩期になって初めて現れる字である。殷周代の甲骨金文に「𦥑+角+牛」からなる字があり、その字体から一般にこの字が「解」の初文であるとされている。そのため「刀」は後に追加された意符(義符)である可能性があり、そうであれば字形の解釈としても「切り分ける」は誤りとなる。

2018/07/16

「辛」の字源は「入れ墨に用いる針」ではない

漢字カフェ」内の以下の記事に「辛」字の字源についての記述があった。

あつじ所長の漢字漫談35 激辛もほどほどに | コラム | 日常に“学び”をプラス 漢字カフェ
http://www.kanjicafe.jp/detail/8099.html
 トウガラシなどのからい味を「辛」という漢字で表現しますが、この「辛」は、もともと入れ墨を入れるのに使う針をかたどった文字でした。
 この入れ墨を入れるために皮膚を傷つけるのに使われるのが「辛」という針で、そこから「辛」が「罪」という意味をあらわすようになりました。このように「辛」が犯罪人に対する刑罰の意味に使われ、そこから「つらい」という意味をあらわし、そこからさらに意味が拡張したのが、味覚の「からさ」なのです。
この、「辛」字の本義が「入れ墨を入れるのに使う針」であるというのは、文字学的説得力を持たない、誤った推論と根拠のない憶測による説である。


2018/03/05

誤りだらけのサイト『漢字の音符』から学ぶ古文字考釈の心得

古文字に関して、非学術的ないわゆるトンデモを語るサイトは幾多あるが、『漢字の音符』はそのうちの代表的なものである。しかし、何がおかしいのかを検証することで逆にどうすべきかを学ぶことに価値があると考え、いま敢えていくつかの指摘を行いたいと思う。
ここでは『音符 「襄ジョウ」  <ゆたかな耕作地>』という記事を例にして、このサイトが犯している「古文字考釈」に対する誤りを述べる。

2018/01/15

殷墟甲骨文中の「遠」「𤞷(邇)」と関連字

この記事は裘錫圭氏が1985年に発表した論文《釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字》(以下《遠邇》)を和訳したものである。
裘錫圭が《遠邇》の初稿を書いたのは1967年のことであるが、この文章は結局発表されなかった。その後、1982年9月に《屯南》等の新出資料の発見に従って文章を書き改め、この《遠邇》は1985年《古文字研究》第十二輯において発表された。1992年、裘錫圭の著作集である《古文字論集》に収録されるにあたって末尾に追記が加えられた。1994年《裘錫圭自選集》にも収録されている。2012年《裘錫圭學術文集・甲骨文卷》に収録されるにあたりさらに注釈が加えられ、卜辞の出典には《合集》の番号が加えられた。2015年には《中西學術名篇精讀・裘錫圭卷》に収録され、陳劍氏による新出資料や研究成果にもとづいた注釈が加えられた。
いま《中西學術名篇精讀・裘錫圭卷》収録の文章に基いて《遠邇》を和訳したものをここに公開する。ただし、翻訳は原文に忠実ではない。新出資料や研究成果に従い、文章を追加・削除・書き改めるなどした。また比較的古文字に不慣れな読者でも理解できるよう一部には詳しい解説を加えた。

先に《遠邇》の要旨を述べておく。
甲骨文中に以下の諸字がある。
A」は「遠」、「a」は「袁」の古文字である。「袁」は「衣+又」及び追加声符「〇(圓)」からなり、{擐【服を着る】}の表意初文である。「袁」「遠」はともに、卜辞中では{遠【遠い・遠く】}或いは固有名詞(人名・地名)として用いられている。
C」「D」「E」は「埶」の古文字で、「𠬞(又/𦥑)+木(屮/个)+土」からなり、{藝【植える】}の表意初文である。卜辞中では「C」は本義{藝}、「D」は{設【設置する】}として用いられている。
B」「F」は「埶」に「犬」を加えた字で、西周金文の「𤞷」字であり、卜辞中では{邇【近い・近く】}あるいは固有名詞(地名)として用いられている。{邇}には「B」が、固有名詞には「F」が多用される傾向がある。

裘錫圭は《遠邇》文において、幾多の文字学的証拠を挙げて上記考釈が正しい(であろう)ことを証明している。いま世間では文字学的証拠に欠けたトンデモ字源説などが流布しているが、この《遠邇》文を通して、古文字考釈とはどのように行われるのか、「文字学的証拠」とはなにか、といったことを読み取って欲しい。
知識は関連書籍や論文を読むことで積み重ねていくものである。しかし、多少興味はあるという程度の層や、最近学び始めた者などは、どこから手をつけていいかわからないかもしれない。そこで、容易に手がとれるように日本語に翻訳した上で、いま一編の論文を例として取り上げる。裘錫圭《遠邇》を取り上げたのは、この論文に古文字考釈において重要な要素が多く詰め込まれているからである。この記事によって、初学者の最初の一歩のハードルが下がることにつながれば幸いである。

(以下、正文)