2020/03/21

泉屋博古館『金文-中国古代の文字-』釈文の訂正

1. 頌簋蓋

釈文はこの字(以下、△)を、「貯」字と隷定し、「貯蔵庫」と翻訳する。
「△」字はかつて「貯」とされていたが、80年代に「賈」と読むべきであるという指摘がされた。 当初、「△」字の上部と「賈」字の上部には字形上隔たりがあることからこの説は広くは受け入れられなかったが、戦国文字研究の進展にともなって現在は「賈」説が主流となっている。 主な根拠は以下の通り。
  1. 魯方彝蓋(西周中期,《銘圖》13543)銘文中の「△休多贏」は、《左傳・昭公元年》「賈而欲贏,而惡囂乎?」に類似している。
  2. 「△」字が使われている裘衛諸器、格伯簋、兮甲盤などは交易に関する文章が綴られている。これらにおいて「△」字を「賈」や「價」と解釈するのは自然であるが、「貯」では通じないかあるいは文脈上不自然になる。なお「貯」を「予」(あたえる)の通仮とする説があるが、両字は実際には漢代以前には通仮不可能である上、この意味の「予」の通仮に用いられる「舎」字が同銘文上に現れているため用字習慣上からも否定される。
  3. △子己父匜(西周晩期,《銘圖》14958)は荀侯稽匜(春秋早期,《銘圖》14958)とともに山西省聞喜県から出土した。賈・荀はともにかつてこの付近に存在し、晋に滅ぼされた国である。賈国は《左傳・桓公九年》「荀侯、賈伯,伐曲沃。」など史書にも記載があるが、逆に「貯」なる国はない。このほか△伯簋(西周晩期,《銘圖》05130-05132)、△叔鼎(春秋早期,《銘續》0203)も山西出土とされている。
  4. 春秋戦国出土文献には「△」字が人名に用いられている例が多く存在する。伝世文献には「賈」という名の人物はよく見られる。
  5. 清華簡《繫年》「鄭之△人弦高」が秦軍を労ったという話は、《左傳・僖公三十三年》「鄭商人弦高」が秦軍を労ったという話と対応する。
「△」字と「賈」字の上部の関係は未だ十分な関係がなされてはいないものの、戦国時代出土文献では「△」字が「賈」としか読めない部分で用いられており、「字形が「賈」に似ていないから」という理由の否定意見はもはや通らなくなった。
以上より、「△」字は「貯」字ではなく「賈」字であり、ここでは「商人」と翻訳すべきである。
なお「新造」を「新しく作った」と翻訳するが、これは官名である(包山楚簡などにも見られる)。

<参考>
李學勤(1981)《重新估價中國古代文明》;《新出青铜器研究》,文物出版社,1990年6月,頁8-9。
李學勤(1984)《兮甲盤與駒父盨――論西周末年周朝與淮夷的關係》;《新出青铜器研究》,文物出版社,1990年6月,頁144-145。
李學勤(1985)《魯方彝與西周商賈》;《當代學者自選文庫・李學勤卷》,安徽教育出版社,1998年12月,頁305-307。
李學勤(1992)《包山楚簡中的土地買賣》;《綴古集》,上海古籍出版社,1998年10月,頁152-155。
裘錫圭(1992)《釋“賈”》;《裘錫圭學術文集・金文及其他古文字卷》,復旦大學出版社,2012年6月,頁440-443。
彭裕商(2003)《西周金文中的“賈”》;《考古》2003年第2期,頁153-157。


7. 亜𡩜夫鼎

「𡩜夫」を二字と解釈しているが、これは一文字の族名(族徽)である。また「止」も族名である。根拠は以下の通り。
  1. 「𡩜」のみの族名を記した器が存在しない。
  2. 「夫」のみの族名を記した器が存在しない。
  3. 「𡩜夫」のみ記された器は存在する。
  4. 「𡩜」字および「憲」字は「害」を声符とする字であるが、同じく「害」を声符とする字に「㝬」字が存在する。
  5. 「止(址)」のみ記された器は存在する。
  6. 「𡩜夫止」と記された器と「止(址)」のみ記された器が同一地点から出土している(1990年10月安陽)。
したがってこの器の名前は「亜𫴂止鼎」あるいは「亜㝬址鼎」とするのがよいと思われる。


9. 宰椃角

●王各宰椃从

釈文は「王格。宰椃从。」と区切って読み、器主は「宰椃」という人物であったと解釈する。しかし、これでは「格」の目的語がなく不自然である。他の器の銘文中の「(王)格」はほぼ必ず後ろに場所が示されている(「格」と場所の間に「于」が入ることも多い)。

この部分は「王格宰。椃从。」と読むべきと思われる。戍𫲱鼎(商晩期,《銘圖》02320)に「才(在)」とある。「」字はしばしば「宗」字と解釈されるが、この字の中部は「示」とは明らかに異なり、むしろこの字は「宰」字に近い。宰椃角・戍𫲱鼎ともに、「𪧶」地に存在する「宰」と呼ばれる地点ないし施設を表していると解釈するのが自然である。
ゆえに器名も「椃角」とするのがよいと思われる。

<参考>
謝明文(2012)《商代金文的整理與研究》,復旦大學年博士論文,2012年5月,頁482-483。


10. 執父辛簋

釈文はこの字(以下、△)を、「執」字とする。解説に「執は……甲骨文などには人物の両手に器具を取り付けて拘束するような字姿で表される」とあるのは正確である、それゆえにこの器の「△」字を「執」字と考えることはできない。

甲骨金文において「執」字とされている字は、のような字形で、これは上述の通り人を拘束した形である。「△」字は明らかにこれとは形が異なる。
  1. 甲午貞:令戎麇。十二月。
    《合集》10389(賓組)
  2. 己巳貞:〼井方〼。
    《拼集》222(歴組)
  3. 𡀚(訊)隻(獲)𡿿(馘)。
    𦵯簋(西周中期,《銘圖》02383)
「執」字は、殷墟甲骨文では獲物や敵を捕らえること等に用いられる。西周金文では多くが「執訊」に用いられており、この語は《詩・小雅・出車》「執訊獲醜」など伝世文献にも見られる。

「△」字は殷墟甲骨文にも用いられているが、その用法は「執」とははっきり異なる。以下に例をいくつか挙げる。
  1. 翌日辛王其省田,入,不雨。
    夕入,不雨。
    《合集》28628(無名組)
  2. 甲寅[卜,尹,]貞:王賓祼,亡𡆥。才(在)九月。
    貞:亡拇(吝)。
    甲寅卜,尹,貞:王賓夕祼,亡𡆥。才(在)九月。
    《合集》25488(出組)
  3. 王其田,丁𥁰(向)戊其,亡𢦏(災),弗每(悔)。
    弜(勿),其每(悔)。
    《合集》27946(無名組)
  4. 丙子卜:祼戉(歲)。
    《合集》30745(無名組)
  5. 辛酉,貞:在宀*[⿱我祭*]其
    辛酉,貞:[⿱我祭*]弜(勿)戠禾。
    《合集》34399(歴組)
例4,5では「△」と「夕」が対になっている。したがって「△」は「夕」と同じく時間帯を表す言葉である。例6は丁の日から戊の日にかけてのことを占っていることから、「△」が指す時間帯は深夜~早朝のどこかであることがわかる。
また商金文には「△」族徽と「或」族徽をあわせた(《銘圖》08325),(《銘圖》09843)が見られる。

「△」字は「丮」と「屮/木」に従う字である。「丮」字には以下の用例がある。
  1. 乙亥卜,王𡉚(往)田,亡𢦏(災)。
    弜(勿)
    《合集》33413(歴組)
  2. 丙午卜:祼〼
    《合集》34621(無名組)
  3. 〼才(在)〼宀*〼其〼叒(諾)。
    《合集》16415(賓組)
例9,10の「丮」字の辞例は例6,7の「△」字の辞例と同じである。例11の文は明らかでないが、例8と関連する可能性がある。
また商金文には「丮」族徽と「或」族徽をあわせた(《銘圖》13217)が見られる。

「丮」に従う字に「𡖊」字がある。この「𡖊」字は多くの研究者によって「夙」と解釈されている。
  1. 王其田,叀犬𠂤(師)匕(比),禽,亡𢦏(災)。
    王其田,叀成犬匕(比),禽,亡𢦏(災)。
    弜(勿)𡖊
    《合集》27915(無名組)
例12の「𡖊」字の用法は例6,9の「△/丮」字の用法と同じである。また「夙」(早朝)は例6より推察される「△」の時間帯範囲内である。

以上より、「△」字は「丮」字や「𡖊」字とともに甲骨文において「夙」(早朝)を表す字である可能性が非常に高く、また「執」とは字形・用例とも異なる別字である。
したがって器名は「[⿰屮丮]父辛簋」あるいは「夙父辛簋」とすべきである。

<参考>
沈培(1995)《説殷墟甲骨卜辭的“𬂤”》;《原學》第3輯,中國廣播電視出版社,1995年8月,頁75-110。
謝明文(2018)《説夙及其相關之字》;《出土文獻與古文字研究》第7輯,上海古籍出版社,2018年5月,頁30-49。


20. 𨕘甗

●圧(

釈文はこの字(以下、△)を、「圧」字とする。
「△」字には以下の用例がある。
  1. 休白(伯)大(太)師𬎲(任)𩛥臣皇辟。
    師𩛥鼎(西周中期,《銘圖》02495)
  2. 天子事(使)㲽(梁)其身邦君大正。
    梁其鐘(西周晩期,《銘圖》15522-15527)
  3. 白(伯)庶父乍(作)
    伯庶父匜(西周晩期,《銘圖》14888)
例1,2は𨕘甗と同様の辞例である。例3は器名として使われている。

「△」字は「尸」と「月」とに従う字である。造字方法を考えるとこの字は象形字とは考え難く、「尸」「月」のどちらかは声符である可能性が高い。
「尸」字は先秦文献ではしばしば「夷」に用いられるが、「夷」には語助詞の用法がある。 《周禮・秋官・行夫》「使則介之」鄭玄注「《故書》曰:“夷使。”……玄謂“夷,發聲。”」、《周禮》古書の「夷使」は金文の「△使」と完全に同じである。
ゆえにこの「△」字は「夷」と読むのが自然であり、文中では意味をもたない。例3は「匜」の通仮と考えられる。

●于㝬侯𨕘暦

「𥎦(侯)」の下に重文符号と「蔑」字がある。この部分は「于㝬侯侯蔑𨕘暦」とすべきである。

●暦(

釈文はこの字(以下、△)を、「暦」字とする。
「△」字は西周金文中に多く見られるが、この字の上部は「秝」ではなく、「林」と書かれることが多く、また特に早期には「⿲木丄木」と書かれることが多い。 最も早い例は商代晩期の小子[⿱夆囧]*卣(《銘圖》13326)のである。 小臣𬣆簋(西周早期,《銘圖》05269-05270)にこの「⿲木丄木」を含む字が見られる。同じ器でこの字はとも書かれる。 この字は一般に「懋」字と解釈されている。したがって「△」字も「懋」に近い音であった可能性が非常に高い。
また、「歷」字は「⿱秝止」の形で殷墟甲骨文から存在し、上部を「林」「⿲木丄木」のように書く形は見られず、「△」字のような「蔑」とセットで使う例もない。
ゆえに「△」字は「歴/暦」とは無関係の字である。金文中のこの字の解釈は参考文献参照。

<参考>
于豪亮(1984)《陝西扶風縣强家村出土虢季家族銅器銘文考釋》;《古文字研究》第9輯,中華書局,1984年1月,頁259。
陳劍(1999)《青銅器自名代稱、連稱研究》;《中國文字研究》第1輯,廣西教育出版社,1999年7月,頁339-340。
陳劍(2018)《簡談對金文“蔑懋”問題的一些新認識》;《出土文獻與古文字研究》第7輯,上海古籍出版社,2018年5月,頁91-117。


21. 彔簋

●䵼(

釈文はこの字(以下、△)を、「䵼」字とする。
「△」字はかつて《玉篇》に「煮也」とある「䵼」字とされてきたが、現在は「肆/逸」字と解釈するのが一般的である。実際のところ、「△」字が「爿」を声符とする形声字であるという証拠はない。
しかし、
  1. 衛肈乍(作)氒(厥)文考己中(仲)寶鼎。
    衛鼎(西周中期,《銘圖》02346)
  2. 湯(璗)鐘一
    多友鼎(西周晩期,《銘圖》02500)
  3. 戎𫷂乍(?)氒(?)父宗彝
    戎𫷂卣(西周早期,《銘圖》13209)
  4. 麃父乍(作)𢦚䢊從宗彝
    麃父卣(西周早期,《銘圖》13229)
  5. 宗彝一
    繁卣(西周中期,《銘圖》13229)
  6. 巿鉣用宜。
    秦政伯喪戈(春秋早期,《銘圖》17356)
  7. 巿魼用宜。
    秦子矛(春秋早期,《銘圖》17670)
例1~7の字はみな「鼎」が「兔」になっている以外は、「△」字と同様「爿」「肉」「刀」などに従う。かつ、例1の字の用法は彔簋の「用乍(作)文且(祖)辛公寶𣪘」の「△」字の用法と完全に同じである。また、例1の字と同形の例2の字の用法は例3, 4, 5の字と同じである。例6と例7も同じ用法である。「△」字と上記の例1~7の字は間違いなく同一字である。
例7の字は「兔」と「辵」に従い、明らかに「逸」字であり、ゆえに「△」字も「逸」字とすべきである。金文中のこの字の解釈は参考文献参照。

<参考>
陳劍(2008)《甲骨金文舊釋“䵼”之字及相關諸字新釋》;《出土文獻與古文字研究》第2輯,復旦大學出版社,2008年8月,頁13-47。
蘇建洲《釋〈上博九・成王爲城濮之行〉的“肆”字以及相關的幾個問題》;《中正漢學研究》第24期,2014年12月,頁41-65。


23. [⿰⿱⿰彖彖口攵]卣

●[⿰⿱⿰彖彖口攵](

釈文はこの字(以下、△)を、「⿰⿱⿰彖彖口攵」と隷定し、読みを「彖」からとって「たん」とする。
「△」字の左上部は「彖()」とは明らかに形が異なり、この隷定と読みは正確ではない。この字の左上部は「㣈」である。


25. 楷侯簋蓋

●𫳇(

釈文はこの字(以下、△)の読みを「きゅう」とする。参考文献に挙げられている『金文通釈』で「△」字を「休」としたのに従っているものと思われる。
ここにおける「△」字が「休」「賜」「光」等の字と同様の意味であることは多くの研究者が認めるところであるが、「休」と読むのは確実に誤りである。
  1. 爯對揚王不(丕)顯休
    爯簋(西周中期,《銘圖》05233)
「休△」は同義の単語を重ねた熟語であろう。
  1. 對揚朕考易(賜)休,用𢆶(兹)彝。
    孟簋(西周中期,《銘圖》05174)
楷侯簋や爯簋と違い、孟簋において「△」字は器を作るという意味の動詞に用いられている。いずれにせよ「休」字と同時に現れる以上この字を「休」と解釈することは不可能である。
現在では、「△」字は戦国竹簡において「從」「漸」等に用いられている字と同一字とし、楷侯簋や爯簋の例は「寵」と読み、孟簋の例は「造」と読むのが定説である。参考文献参照。

<参考>
陳劍(2006)《釋造》;《出土文獻與古文字研究》第1輯,復旦大學出版社,2006年12月,頁55-100。





2019/11/19

泉屋博古館分館でやってる「金文展」に行った

泉屋博古館分館で11月9日から開催されている「金文展」に行ってきた。

僕が見てきたのは、開催前日に行われた「ブロガー内覧会」というもので、ようは記者は先行して見ていいよというヤツである。そういうわけで本来撮影禁止のところ、許可を得て撮影ができたので、ここでレポートしたい。


2018/11/21

「労(勞)」の字源

2018年11月18日付日本経済新聞の以下の記事に「労」についての記述があった。

(遊遊漢字学)二宮尊徳像なき時代の「勤労」 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO37843480W8A111C1BC8000/
「労」(本来の字形は「勞」)は二つの《火》と《冖》(家の屋根)と《力》からできており、その解釈にはいくつかの説があるが、一説に屋根が火で燃える時に人が出す「火事場の馬鹿力」の意味から、「大きな力を出して働く」ことだという。
この記事を書いた阿辻氏が編集に加わっている『新字源』改訂新版には以下のようにある。
力と、熒(𤇾は省略形。家が燃える意)から成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す。
上記の説は《説文》段注をもとにしたものと思われるが、誤りである。

このほか、インターネットサイトや字書・辞典等で「労(勞)」の字源を「熒+力」としているものが多いが、「労(勞)」は「熒」とは無関係であり、みな誤りである。

2018/09/08

「函数」が音訳というデマと、本当の語源

数学用語「function」は、中国語で「函数」と翻訳された。この語は日本にも輸入され、現在も日中で使われている(ただし現在日本では「関数」の表記が主流)。

この「函数」は、「function」に近い音の字を当てて作った語であるという説があるが、これにはいくつかの不審な点があり、戦後の日本で生まれた俗説であると思われる。

「函数」という語は音訳ではなく、「ある変数が含まれる」という19世紀半ばの数学界における函数の認識を踏まえて作られた言葉である。


2018/08/20

「柿/杮(かき/こけら)」の書き分けは絶対ではない

漢字には、「シ(音)、かき(訓)」と読む字と、「ハイ(音)、こけら(訓)」と読む字がある。字源も表す語も異なる、別字種である。

本やTV番組やインターネット等で、この両字について「「かき」の旁は5画で、「こけら」の旁は縦棒を貫いて4画で書く」のだという意見が存在する。両字を書くときに、この書き分けをすることは問題ない
しかし、さらに、「上記の書き分けをしなければ誤りである」つまり「旁を5画で書くのが「かき」で、旁を4画で書くのが「こけら」である」という考えも存在している。が、このような「書き分けなければならない」という考えは不適である
世の中には「漢字は、各1字が、それぞれ別のたった1つの字体をもつ」のような考え方が強かれ弱かれ存在し(この考え方こそが誤りである)、「かき」と「こけら」の書き分けもその考えから生まれたものだと思われる。

「かき」と「こけら」の書き分け問題は、「I(大文字アイ)」と「l(小文字エル)」のそれに似る。
「大文字アイ」と「小文字エル」は基本的には両方とも縦棒1本であるが、長さを変えたり、端部を曲げたり、あるいは上や下に短い横棒(セリフ)をくっつけたりして区別することもある。このような区別(書き分け)は、人によって異なり、「こう書かなければならない」といったルールは存在しない。「「かき」の旁を5画にして「こけら」の旁を4画にする」というのも、書き方で両字を区別する方策の一例でしかない。

中国の印刷字体を見るとたしかに「旁5画=「かき」、旁4画=「こけら」」が規範となっているが、日本にはそのような決まりはない。「かき」は常用漢字なので(少なくとも漢字テストにおいては)旁5画で書くべき字であると思われるが、「こけら」は表外字なので基準はなく、「かき」同様に旁5画で書いても誤りとはいえない。


2018/07/22

「解」は「牛を切り分けること」ではない【遊遊漢字学】

2018年7月22日付日本経済新聞の以下の記事に「解」についての記述があった。

(遊遊漢字学)「解」とは牛を切り分けること 阿辻哲次 :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33207400Q8A720C1BC8000/
「解」は左に《角》(ツノ)があり、右側は《刀》と《牛》である。つまり牛のツノを刀で切り落としているさまを表していて、牛を解体することから、広く一般的にものを切り分けることを「分解」というようになった。
この記述は誤りである。

たしかに「解」字は「角+刀+牛」からなるが、だからといって{解}が【牛の角を刀で切り分けること】であるわけではない。そんな意味の狭い言葉は不自然である。「食指が動く」の故事で知られる《左傳・宣公四年》に「宰夫將黿。」とあるように、「解」字は古籍において牛以外にも普通に使われている。《説文》の説明も単純に「解,判也。」であり、漢代の学者も【牛の角を刀で切り分けること】が本義であるとは考えていない。
記事では【牛の角を刀で切り分けること】から引伸して【切り分ける】の意味になったと言いたいようだが、そうではなく、{解}は最初から【分ける、解く】といった意味である。【分ける】という意味を表示するのに、牛の角を分解する様子を描いたにすぎない。

表意字体であっても、字形によって意味を過不足なく完全に表現するのは不可能である。ゆえに字形はそのようには作られていない。これはピクトグラムやアイコンでも同じことで、男子トイレは「直立した男性」の絵で表され、添付ファイルは「クリップ」の絵で表されるように、その見た目は「意味を過不足なく説明する」作用があるのではなく、「意味を暗示させる」作用をもっているのである。暗示方法にはいろいろあるが(ところでトイレのアイコンはトイレを連想させるものが一切ないという点で特徴的だと思う)、漢字においては、「解」字に見られるような具体的事物の様子でもって意味を表現するものが多い。よって、【分ける】義を表すのに牛の角を分解する様子を用いるように、しばしば字形が見せる情景は実際の詞語の意味に比べてより細かく狭くなる。このような現象を「形局義通」という。
「形局義通」現象については早くから指摘がされており、清の学者である陳澧は《東塾讀書記・小學》において「字義不專屬一物,而字形則畫一物。」と述べ、【高い】という意味を高楼の象形で表した「高」字などを例に挙げている。その後、沈兼士《國語問題之歷史的研究》等の論文のほか、裘錫圭《文字學概要》や蘇建洲《新訓詁學》といった初学者向けの入門書においても、陳澧の一節とともに複数の実例を挙げて「形局義通」現象を解説し、字形が示す情報を言葉の意味と誤解しないよう注意すべきであるとしている。
このように「形局義通」現象は古文字学・訓詁学の基本的事項である。これを理解していないと、「{解}は【牛の角を刀で切り分ける】という意味から【分ける】という意味を派生した」「{月}はもともと【三日月】という意味で、後に月一般を指すようになった」「{木}はもともと【左右に枝が一本ずつ出て、根は左中右に計三本生えている木】という意味だった」等の勘違いをしてしまう。このような勘違いも「望文生義」の一種といえよう(望文生義とは、文章を読む際に字面から勝手に意味を想像して誤った読解をすることで、訓詁学等の分野で気をつけるべきこととされているものの一つである)。

なお、現在確認できる出土文字資料においては、「刀」に従う「解」字は戦国晩期になって初めて現れる字である。殷周代の甲骨金文に「𦥑+角+牛」からなる字があり、その字体から一般にこの字が「解」の初文であるとされている。そのため「刀」は後に追加された意符(義符)である可能性があり、そうであれば字形の解釈としても「切り分ける」は誤りとなる。

2018/07/16

「辛」の字源は「入れ墨に用いる針」ではない

漢字カフェ」内の以下の記事に「辛」字の字源についての記述があった。

あつじ所長の漢字漫談35 激辛もほどほどに | コラム | 日常に“学び”をプラス 漢字カフェ
http://www.kanjicafe.jp/detail/8099.html
 トウガラシなどのからい味を「辛」という漢字で表現しますが、この「辛」は、もともと入れ墨を入れるのに使う針をかたどった文字でした。
 この入れ墨を入れるために皮膚を傷つけるのに使われるのが「辛」という針で、そこから「辛」が「罪」という意味をあらわすようになりました。このように「辛」が犯罪人に対する刑罰の意味に使われ、そこから「つらい」という意味をあらわし、そこからさらに意味が拡張したのが、味覚の「からさ」なのです。
この、「辛」字の本義が「入れ墨を入れるのに使う針」であるというのは、文字学的説得力を持たない、誤った推論と根拠のない憶測による説である。


2018/03/05

誤りだらけのサイト『漢字の音符』から学ぶ古文字考釈の心得

古文字に関して、非学術的ないわゆるトンデモを語るサイトは幾多あるが、『漢字の音符』はそのうちの代表的なものである。しかし、何がおかしいのかを検証することで逆にどうすべきかを学ぶことに価値があると考え、いま敢えていくつかの指摘を行いたいと思う。
ここでは『音符 「襄ジョウ」  <ゆたかな耕作地>』という記事を例にして、このサイトが犯している「古文字考釈」に対する誤りを述べる。

2018/01/19

六書の問題と誤解

※この記事では《説文》における六書と、《説文》における字源説の話をしています。

漢字字体の造字法の分類として「六書」というものがある。六書は《説文》で提唱され、その後《説文》が神格化されたため、今日まで六書分類は文字学分野でよく利用されている。しかし、この六書には多数の問題があり、また誤解も多い。この記事ではそれについて幾つか紹介する。

「六書」の問題と誤解

「六書」の語の初出は《周禮・地官・保氏》「保氏掌諫王惡,而養國子以道,乃教之六藝。一曰五禮,二曰六樂,三曰五射,四曰五馭,五曰六書,六曰九數。」である。とりあえずこの「六書」の意味はよくわからない。漢代の経学者は、《周禮》鄭玄注引《周禮保氏注》「象形、會意、轉注、處事、假借、諧聲也。」、《漢書・藝文志》引《七略》「象形、象事、象意、象聲、轉注、假借,造字之本也。」、そして《説文》叙の最初の方には「指事」「象形」「形聲」「会意」「轉注」「假借」の六つを挙げ、つまり六書とは六種類の造字法のことであるという解釈を行ったようである。しかし、《説文》叙の後ろの方では「古文」「奇字」「篆書」「佐書」「繆篆」「鳥蟲書」の六つの書体が六書だという。この六書は《周禮》の「六書」のことではないかもしれないが、《周禮》の「六書」から名称がとられたのは明らかである。したがって、《周禮》の「六書」の意味は結局のところ今もよくわかっておらず、六種類の造字法やら六種類の書体やらというのは後代の説の一つでしかない。
つまり六書説において、なぜ造字法が六種類に分類されているのかというと、「六書」の語に合うように六種類に設定されたからということになる。造字法を分類していった結果たまたま六種類になったわけではない。後代に《説文》が神格化されたため、なんとか整合性のとれる説が考えられたりもしているが、結局この分類は無理矢理ということである。事実、転注と仮借は明らかに造字法ではなく、ほかの四つと性格が異なる。

「全ての漢字が六書のどれかに分類できる」という誤解がある。もしかしたら誤解ではないかもしれないが、少なくとも《説文》にそんなことは書かれていないし、六書のどれに相当するかが説明されている字はごく一部だけである。現在の漢和辞典・漢字字典の多くの「解字」「なりたち」といった欄で、全ての漢字に対して、最初に六書のどれかが書いてあることがあるが、これは独自に各種類の定義を調節することによって「全ての漢字が六書のどれかに分類できる」ようにしたものである。
また「ある漢字は六書のどれか一つに分類できる」という誤解もあるが、これは転注と仮借の存在が反例となる。象形兼形声とかそういう例があったらおかしいという決まりはない。

「象形」の問題と誤解

《説文》叙に「倉頡之初作書,蓋依類象形,故謂之文。其後形聲相益,即謂之字。文者,物象之本。字者,言孳乳而寖多也。」とある。どうやらまず象形=文が生まれ、次に形声=字がうまれたということらしい。
「象形=文は独体字である」という誤解がある(独体字とはそれ以上偏旁分解できない字、一つの部品からなる字のこと)。《説文》にそんなことは書かれていないし、「𦙪,从肉。象形。」「舜,象形。从舛,舛亦聲。」など反例も多く存在する。特に叙において象形の例として挙げられている「日」を「从口一」の合体字としている。同様に「象形と指事を文、会意と形声を字という」「象形と指事は独体字、会意と形声は合体字」等の類も無からでた誤解である。

「会意」の問題と誤解

現状は「象形と指事は独体字、会意と形声は合体字」「全ての漢字は六書のどれか一つに分類できる」の誤解により「合体字から形声を抜いたものが会意」などとされていたりする。先に述べたように「会意だから象形ではない」「会意だから形声ではない」「象形・指事・形声ではないから会意である」という解釈は成り立たない。

《説文》叙で挙げられている会意の例は「信」と「武」、つまり「人の言うことが信」「戈を止めるのが武」といった類の字である。この例からは「安,从女在宀中。」「休,從人依木。」のような類を会意とするのは不適当に思える。
一方本文では、「喪,从哭从亾。會意。亾亦聲。」「敗,从攴貝。敗、賊皆从貝,會意。」「圂,从囗,象豕在囗中也。會意。」が会意とされている。「喪」は会意兼形声、「圂」は会意兼象形で、「安」「休」は「圂」と同類かもしれない。「敗」には「敗、賊皆从貝」とあるが、「賊」は「从戈則聲。」となっていて、結局会意がなんなのかはよくわからないが、本文の例からすれば合体字はほとんど会意に含まれるのかもしれない。

結論

六書は、はじめから多くの問題をかかえており、それに誤解が加わっているために、理論と現実の間でズレが生じている。漢和辞典・漢字字典をはじめ字源説を唱える者の多くは、独自に定義を調節してそのズレをどうにか整合化することによって、六書を利用し続けている。だが結局独自の定義で運用するなら、《説文》の六書説に従う必要は全く無い。

そういうわけで結局何が言いたいかというと、このブログでは基本的に造字法は「表意/形声」の二種類(時に下位分類を用いる)にしか分けないか、あるいは特に分類せず直接詳述する。

2018/01/15

殷墟甲骨文中の「遠」「𤞷(邇)」と関連字

この記事は裘錫圭氏が1985年に発表した論文《釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字》(以下《遠邇》)を和訳したものである。
裘錫圭が《遠邇》の初稿を書いたのは1967年のことであるが、この文章は結局発表されなかった。その後、1982年9月に《屯南》等の新出資料の発見に従って文章を書き改め、この《遠邇》は1985年《古文字研究》第十二輯において発表された。1992年、裘錫圭の著作集である《古文字論集》に収録されるにあたって末尾に追記が加えられた。1994年《裘錫圭自選集》にも収録されている。2012年《裘錫圭學術文集・甲骨文卷》に収録されるにあたりさらに注釈が加えられ、卜辞の出典には《合集》の番号が加えられた。2015年には《中西學術名篇精讀・裘錫圭卷》に収録され、陳劍氏による新出資料や研究成果にもとづいた注釈が加えられた。
いま《中西學術名篇精讀・裘錫圭卷》収録の文章に基いて《遠邇》を和訳したものをここに公開する。ただし、翻訳は原文に忠実ではない。新出資料や研究成果に従い、文章を追加・削除・書き改めるなどした。また比較的古文字に不慣れな読者でも理解できるよう一部には詳しい解説を加えた。

先に《遠邇》の要旨を述べておく。
甲骨文中に以下の諸字がある。
A」は「遠」、「a」は「袁」の古文字である。「袁」は「衣+又」及び追加声符「〇(圓)」からなり、{擐【服を着る】}の表意初文である。「袁」「遠」はともに、卜辞中では{遠【遠い・遠く】}或いは固有名詞(人名・地名)として用いられている。
C」「D」「E」は「埶」の古文字で、「𠬞(又/𦥑)+木(屮/个)+土」からなり、{藝【植える】}の表意初文である。卜辞中では「C」は本義{藝}、「D」は{設【設置する】}として用いられている。
B」「F」は「埶」に「犬」を加えた字で、西周金文の「𤞷」字であり、卜辞中では{邇【近い・近く】}あるいは固有名詞(地名)として用いられている。{邇}には「B」が、固有名詞には「F」が多用される傾向がある。

裘錫圭は《遠邇》文において、幾多の文字学的証拠を挙げて上記考釈が正しい(であろう)ことを証明している。いま世間では文字学的証拠に欠けたトンデモ字源説などが流布しているが、この《遠邇》文を通して、古文字考釈とはどのように行われるのか、「文字学的証拠」とはなにか、といったことを読み取って欲しい。
知識は関連書籍や論文を読むことで積み重ねていくものである。しかし、多少興味はあるという程度の層や、最近学び始めた者などは、どこから手をつけていいかわからないかもしれない。そこで、容易に手がとれるように日本語に翻訳した上で、いま一編の論文を例として取り上げる。裘錫圭《遠邇》を取り上げたのは、この論文に古文字考釈において重要な要素が多く詰め込まれているからである。この記事によって、初学者の最初の一歩のハードルが下がることにつながれば幸いである。

(以下、正文)

2017/09/17

字典「史」

「史」

釋義

甲骨文

「史」は武官、あるいは使者とする説が広く受容されているが、異説は少なくない。
また、名詞{事}、動詞{使}に用いられる。
  1. 名:職官名。また、使者。
    貞:方其[⿶戈屮](翦)我
     貞:方弗[⿶戈屮](翦)我
     貞:我其[⿶戈屮](翦)方。
     貞:我弗其[⿶戈屮](翦)[方]。
    《合集》9472正;賓一

    己未卜,古,貞:我三史(使)人。
     貞:我三不其史(使)人。
    《合集》822;賓一
  2. 名:できごと。事象。事情。=事
    癸亥卜,爭,貞:灷𬅶化亡𡆥(憂),由(堪)王史(事)。
     貞:灷𬅶化亡𡆥(憂),由(堪)王史(事)。
     灷𬅶化其㞢(有)𡆥(憂)。
     貞:灷𬅶化亡𡆥(憂),由(堪)王史(事)。十月。
     灷𬅶化其㞢(有)𡆥(憂)。
    《合集》5439正;賓一

    辛卯卜,貞:今四月我又(有)史(事)。
    《合集》21666;子組
  3. 名:人名。
    丙寅卜,,貞:今夕亡𡆥(憂)。
    《合集》16584;賓三

    壬辰卜,内,貞:今五月㞢(有)至。
     今五月亡其至。
    《合集》13579反;賓一
  4. 動:つかわす。派遣する。出向かせる。=使
    己未卜,古,貞:我三史史(使)人。
     貞:我三史不其史(使)人。
    《合集》822;賓一

    庚申卜,古,貞:王史(使)人于䧅,若。王占曰:吉,若。
    《合集》376正;賓一

金文

「内史」は内史寮の長官で、主に王に伴う職務を行った。「太史」は太史寮の長官で、儀礼に参加したり、立法・気象観測・卜筮等を行ったとされる。金文では内史・太史等の官僚をまとめて「史」と称し、名前の前につけて「史某」の形で用いられる。
  1. 名:職官名。
    乙亥,王𫌲(誥)畢公,廼易(賜)𬛥貝十朋。
    史𬛥簋,《銘圖》04986-04987;周早

    孝𬁡(友)𤖣(牆),𡖊(夙)夜不彖(惰),其日蔑[⿸𠩵口](懋)。
    史牆盤,《銘圖》14541;周中

    易(賜)女(汝)、小臣、霝龠(籥)鼓鐘。
    大克鼎,《銘圖》02513;周晩
  2. 名:できごと。事象。事情。=事
    自今余敢夒(擾)乃小大史(事)
    𠑇匜,《銘圖》15004;周中
  3. 名:人名。また、族名。
    史鼎,《銘圖》00017-00045;商晩

    𦛛(薛)𥎦(侯)戚乍(作)父乙鼎彝,
    薛侯戚鼎,《銘圖》01865;商晩
  4. 動:つかえる。=事
    𩛥(載)乃且(祖)考史(事)先王,𤔲(司)虎臣。
    虎簋蓋,《銘圖》05399-05400;周中
  5. 動:つかわす。派遣する。出向かせる。=使
    余令(命)女(汝)史(使)小大邦。
    中甗,《銘圖》03364;周早

    隹(唯)王𠦪于宗周,王姜史(使)叔事(使)于大(太)𠍙(保)。
    叔簋,《銘圖》05113-05114;周早

    用𬯚(尊)史(使)于天宗,用卿(饗)王逆[⿺辶舟](復),用匓寮(僚)人。
    作册夨令簋,《銘圖》05352-05353;周早
  6. 動:しむ。ある対象に何かをさせる。=使
    𨕘從師雍父𫵔史(使)𨕘事(使)于㝬(胡)𥎦(侯)。
    𨕘甗,《銘圖》03359;周中
  7. 「内史」「内史尹」:職官名。内史寮の長官。
    隹(唯)三月,王令𬊇(榮)眔内史曰:“[⿱𦵯廾](介)井(邢)𥎦(侯)服。”
    榮簋,《銘圖》05274;周早

    王各(格)于大(太)室,師毛父即立(位),丼(邢)白(伯)右,内史册命。
    師毛父簋,《銘圖》05212;周中

    [⿰𠂤⿳日夂土]白(伯)右師兑,入門,立中廷,王乎(呼)内史尹册令(命)師兑。
    三年師兑簋,《銘圖》05374-05375;周晩
  8. 「大(太)史」:職官名。太史寮の長官。
    大(太)史乍(作)姬𬍢寶𬯚(尊)彝。
    公太史鼎,《銘圖》01824-01826;周早

    隹(唯)十又三月庚寅,王才(在)寒[⿰𠂤朿](次),王令大(太)史兄(貺)䙐土。
    中鼎,《銘圖》02382;周早

    隹(唯)公大(太)史見服于宗周年。
    作册䰧卣,《銘圖》13344;周早

楚簡

書籍簡においてはほとんど{使}に用いられる。司法文書である包山簡には102「正史」、138「大史」、158「右史」等の職官名が見られる。
  1. 名:史官。太史。
    是𫊟(吾)亡(無)良祝、也。𫊟(吾)𢼽(欲)䜴(誅)者(諸)祝、
    上博六《景公瘧》2

    乃册祝告先王曰。
    清華壹《金縢》2
  2. 名:姓。
    九月辛亥之日,彭君司敗善受[⿱几日](幾)。
    包山《受幾》54

    辛亥,妾婦監、[⿱𬐇心](懌)、䣓人秦赤。
    包山《所属》168

    辛巳,[⿺辶卜]𫾽(令)[⿸疒𢍏](𤷄)、𦸗尹毛之人、郯[⿰⿺𠃊炎戈](列)尹[⿱⿰炅匕黽]之人。
    包山《所属》194
  3. 動:つかえる。=事
    胃(謂)之【臣】,㠯(以)[⿱宀忠](忠)史(事)人多。
    郭店《六德》17

    奠(鄭)壽告又(有)疾,不史(事)
    上博六《平王問鄭壽》4
  4. 動:つかう。用いる。使用・運用する。=使
    胃(謂)之君,㠯(以)宜(義)史(使)人多。
    郭店《六德》15

    先﹦(先人)[⿱之所]﹦(之所)史(使)
    上博五《季康子問於孔子》12

    はたらかせる。使役する。=使
    至亞(惡)何(苛),而上不旹(時)史(使)
    上博五《鮑叔牙與隰朋之諫》7
  5. 動:つかわす。派遣する。出向かせる。=使
    孤史(使)一介史(使)
    上博七《吴命》4
  6. 動:しむ。ある対象に何かをさせる。=使
    民可史(使)道之,而不可史(使)智(知)之。
    郭店《尊德義》21-22

    亓(其)甬(用)心各異,[⿱爻言](教)史(使)肰(然)也。
    郭店《性自命出》9

     亓(其)甬(用)心各異,[⿱爻子](教)史(使)肰(然)也。
    上博一《性情論》4

    季𬨤(桓)子史(使)中(仲)弓爲[⿸宰刃](宰)。
    上博三《仲弓》1

釋形

「中*」と「又」に従い、何かを持った形。「中*」の構意は諸説あり定説はない。「中*」を「中」とみなす説があるが、両字は形が異なっており、また卜辞中の「中*」字の用法は「史」と同じで「中」のそれとは異なる。「中*」と「史」が同用法であることから、「史」は「中*」に「又」を加えた形声文字である可能性もある。
甲骨文には四種の字体がある。Aは賓組以外で普遍的に用いられる字体で、後代にもこの字体が継承された。Bは賓組に用いられる字体で、上部が二叉の字。二叉が三叉に変化し、後代の「事」「吏」字になった。Cは刀卜辞に見られる横画を欠いた字体。Dは主に𠂤賓間に用いられる「又」を省略した字体だが、上述のように「史」の初形かもしれない。
西周中晩期の金文の字は中央の縦画の長さに多様性がある。𪠷𫲾簋(《銘圖》04962)の「𪠷」は羨符「口」を加えた異体字と思われるが、別字の可能性もある。
晋系文字は上部の縦画が「十」字のようになっている。楚系文字は「⿳卜甘又」の字体だが、「弁」と極めて近い字形のものもある。

釋詞

上述のように「史」「事」「吏」は一字分化であり、また字義・用例を見ても明らかなように、{史}{使}{事}{吏}は同源詞である。


2017/08/24

字典「才」

「才」

釋義

甲骨文

殷墟甲骨文では時間や地名を後に続けて{在}に用いられる。また{災}の用法が数例みられる。
  1. 名:わざわい。良くないこと。災害。=災
    乙卯,貞:今日亡才(災)
    《合補》10708;歷二

    辛丑,貞:王其獸(狩),亡才(災)
    《屯南》1128;歷二
  2. 前:~で。~に。ありて。場所・時間・範囲などを示す。=在
    己亥卜,旅,貞:今夕亡𡆥(憂)。才(在)十二月。
    《合補》8113;出二

    癸牛卜,才(在)盂貞:旬亡[⿰𡆥犬](憂)。王占曰:吉。
    《合集》36914;黄二

    [甲]午卜,大[,貞]:翌乙未其登,其才(在)祖乙〼
    《合集》22926;出二

金文

金文では「人名+才(在)+地名・位置」の用法が圧倒的に多い。
  1. 名:貨幣[1]。あるいは財貨。=財
    乙未,公大(太)保買大[⿰王⿳丅口丄](珠)于𦍎亞,才(財)五十朋。
    亢鼎,《銘圖》02420;周早

    矩白(伯)庶人取堇(瑾)章(璋)于裘衛,才(財)八十朋,氒(厥)賈,其舍田十田。
    裘衛盉,《銘圖》14800;周中
  2. 名:姓。
    父戊。
    才父戊爵,《銘圖》07845;商晩
  3. 動:ある。あり。場所・時間・範囲などを示す。=在
    己酉,王才(在)梌,𠨘其易(賜)貝。
    四祀𠨘其卣,《銘圖》12429;商晩

    才(在)亖(四)月丙戌,王𫌲(誥)宗小子于京室。
    何尊,《銘圖》11819;周早

    唯五月既死覇,辰才(在)壬戌,王[⿱宛食][于(?)]大(太)室。
    吕鼎,《銘圖》02400;周中

    隹(惟)九月,王才(在)宗周,令盂。
    大盂鼎,《銘圖》02514;周晩
  4. 副:はじめは。最初は。昔は。=載、在、哉
    才(載)先王既令(命)女(汝)乍(作)𤔲(司)土。
    師𬱊簋,《銘圖》05364;周晩
  5. 前:~で。~に。ありて。場所・時間・範囲などを示す。=在
    王易(賜)小臣𪺕(系),易(賜)才(在)𡨦(寢)。
    小臣系卣,《銘圖》13284-13285;商晩

    唯成王大𠦪(祓)才(在)宗周,商(賞)獻𥎦(侯)𬱑貝。
    獻侯鼎,《銘圖》02181-02182;周早

    隹(唯)八月辰才(在)庚申,王大射才(在)周。
    柞伯簋,《銘圖》05301;周中

    㝬其萬年,永㽙(畯)尹亖(四)方,保大令(命),作疐才(在)下,[⿰午卩](御)大福。
    五祀㝬鐘,《銘圖》15583;周晩
  6. 助:かな。句末に置いて感嘆を表す。=哉
    唯民亡𫹔(延)才(哉)!彝𫹻(昧)天令(命),故亡。允才(哉)!顯隹(唯)苟(敬)德,亡𠧠(攸)違。
    班簋,《銘圖》05401;周中

    師訇,哀才(哉)!今日天疾畏(威)降喪,首德不克[⿱聿乂](規)。
    師訇簋,《銘圖》05402;周晩

楚簡

楚簡では{在}のほか、語気詞{哉}としての用法も多い。
  1. 名:才能。はたらき。=材
    而[⿱宀⿰帚戈](寢)亓(其)兵,而官亓(其)才(材)
    上博二《容成氏》2
  2. 名:わざわい。災禍。=災
    [⿱化示](禍)才(災)迲(去)亡。
    上博二《容成氏》16
  3. 動:ある。あり。場所・時間・範囲などを示す。=在
    亓(其)才(在)民上也,民弗厚也;亓(其)才(在)民前也,民弗𡩜(害)也。
    郭店《老子》甲4

    庚之子𭧏一夫、𭧏之子疕一夫,未才(在)典。
    包山《集箸》8

    君子才(在)民之上。
    上博五《季庚子問於孔子》2

    [⿱七䖵](蟋)[⿱⿴行⿱幺止虫](蟀)才(在)[⿱竹石](席),𫻴(歲)矞員(云)茖(莫)。
    清華壹《耆夜》11
  4. 動:みる。視察する。=在
    士帀(師)𬪌(陽)慶吉啓漾陵之厽(三)鉩(璽)而才(在)之。
    包山《集箸》13
  5. 動:そこなう。害する。陥れる。=讒[2]
    所㠯(以)異於父,君臣不相才(讒)也,則可已。
    郭店《語叢三》3
  6. 副:ますます。さらに。=兹
    余既監于殷之不若,[⿴囗帀](稚)童才(兹)𢝊(憂)。
    清華伍《封許之命》8
  7. 前:~で。~に。ありて。場所・範囲などを示す。=在
    是古(故)凡勿(物)才(在)疾之。
    郭店《成之聞之》22

    取皮(彼)才(在)坹(穴)。
    上博三《周易・小過》56

    才(在)少(小)不靜(爭),才(在)大不𫬽(亂)。
    上博四《内禮》10
  8. 助:かな。句末に置いて感嘆を表す。=哉
    𢚝(噫),善才(哉),言[⿸虎口](乎)!
    郭店《魯穆公問子思》4

    才(哉)
    上博三《彭祖》1

    於(嗚)[⿸虎口](乎),丁,戒才(哉)
    清華伍《封許之命》7
  9. 助:か。や。句末に置いて疑問を表す。また「安」等と呼応して反語を表す。=哉
    察丌(其)見者,青(情)安[⿺辶⿱止㚔](失)才(哉)
    郭店《性自命出》38

    公身爲亡(無)道,不[⿺辶戔](遷)於善而敚(説)之,可[⿱虎口](乎)才(哉)
    上博五《競建内之》6

    今天下之君子既可智(知)已,䈞(孰)能并兼人才(哉)
    上博四《曹沫之陣》5

    又(有)[⿹暊虫](夏)之悳(德)可(何)若才(哉)
    清華伍《湯處於湯丘》12
  10. 助:よ。句末に置いて命令・奨励を表す。=哉
    於(嗚)[⿸虎口](乎),敬才(哉)
    清華壹《程寤》6

    才(哉)
    清華壹《保訓》4

    [⿰苟戈](敬)才(哉),監于茲。
    清華壹《皇門》12

釋形

杙の象形で、「弋(杙)」から分化した字(何琳儀[3]・陳劍[4])。初期の甲骨文では短い縦画と下三角形からなる字形が多い。甲骨文で最も多く見られる字形は下三角形を長い縦画が貫いた形であるが、これは訛形であり、これに基づいて構意を説明するのは誤りである。
漢篆の例が少なく、説文小篆は隷書由来の字形であり秦篆とは異なる。

釋詞

陳劍は「弋(杙)」と「才」を一字分化とするが、詞義については触れていない。
「材」「財」は「才質、才智」といった意味を持ち、同源である。


2017/08/19

字典「士」

「士」

釋義

甲骨文

官名を表す。人名の前につける。
  1. 名:職官名。
    甲子卜,賓,貞:[⿱匕鬯]酒才(在)疾,不从古。
    《合集》9560;賓三

    庚午卜,出,貞:[⿱㞢八]曰:以賈齊,以。
    《英藏》1994;出一

金文

男性および官名を表す。
  1. 名:おとこ。(成人)男子の通称。
    王令(命)南宮率王多
    柞伯簋,《銘圖》05301;周中

    敺(毆)孚(俘)女、羊牛。
    師㝨簋,《銘圖》05366-05367;周晩
  2. 名:才能のある人。
    咸畜胤
    秦公簋,《銘圖》05370;春早

    余咸畜胤
    晋公盆,《銘圖》06274;春晩
  3. 名:職官名。人名の前につける。
    王令衜(道)歸(饋)貉子鹿三。
    貉子卣,《銘圖》13319;周早

    戍右殷立中廷。
    殷簋,《銘圖》05305-05306;周中

    王乎(呼)曶召克。
    克鐘,《銘圖》15292-15297;周晩
  4. 名:軍士。兵士。
    凡興被(披)甲,用兵五十人以上。
    新郪虎符,《銘圖》19176;戰晩

    凡興被(披)甲,用兵五十人以上。
    杜虎符,《銘圖》19177;戰晩

楚簡

人の汎称、また役人の意味に用いられる。
  1. 名: おとこ。(成人)男子の通称。また、ひと。
    又(有)志於君子道胃(謂)之𠱾(志)
    郭店《五行》7

    [《清𫳝(廟)》曰:“肅雝顯相,濟濟]多,秉文之德。”
    上博一《孔子詩論》6

    𠭯奮甲,殹(繄)民之秀。
    清華壹《耆夜》5
  2. 名: 才能のある人。賢い人。
    躳(躬)與凥(處)𪣬(館)。
    上博五《苦成家父》1
  3. 名:卿士。役人。
    姑(苦)城(成)[⿱爪家](家)父事[⿰⿻木𦥑攵](厲)公,爲
    上博五《苦成家父》1
  4. 「士尹」: 職官名。司法官。
    壬寅,五帀(師)士尹宜咎。
    包山《所属》185

    里公邞眚(省)、士尹紬[⿱𠦉診](慎)[⿱反止](返)孑。
    包山《集箸言》122

    士尹□□之。
    夕陽坡1
  5. 「士𠂤(師)」: 職官名。司法官。
    士帀(師)墨、士帀(師)𬪌(陽)慶吉。
    包山《集箸》12

釋形

斧鉞の象形。甲骨文では「王」と字体を共有していたが、のちに分化した(林沄)。
漢代には中部両側に点を加えた字がみられる。

釋詞

甲骨文や戦国晋系文字では「在」が{士}に用いられており、{才}と{士}は同源詞である可能性がある。


2017/08/15

字典「采」

「采」

釋義

甲骨文

特定の時間帯を表す「大采」「小采」の語に用いられる。一期甲骨文にしか見られず、以降は「朝」「莫(暮)」など別の用語に取って代えられたようである。
  1. 「大采」「大采日」:時間詞。朝方。
    癸亥卜,貞:旬。一月。昃雨自東。九日辛未大采各云(雲)自北。
    《合集》21021;𠂤小

    丙午卜:今日其雨。大采雨,自北延[⿰戌大],少雨。
    《合集》20960;𠂤小

    乙卯卜,㱿,貞:今日王往于𦎫〼之日大采雨,王不[步]〼
    《合集》12814正;典賓

    乙卯卜,㱿,貞:今日王往于〼之日大采雨,王不〼
    《合補》3643正;典賓
  2. 「小采」「小采日」:時間詞。日暮れ頃。
    癸巳卜,王:旬。四日丙申昃雨自東,小采既。
    《合集》20966;𠂤小

    丁未卜:翌日雨。小采雨,東。
    《合集》21013;𠂤小

    今日小采允大雨。
    《合集》20397;𠂤小

    癸亥卜,貞:旬。乙丑夕雨。丁卯夕雨。戊小采日雨,風。己明啟。
    《合集》21016;𠂤小

金文

西周における「采」は周王から貴族に与えられた土地を指す。他の賜与地と異なるのは、采主は租税を徴収したり服役を課したりすることができたものの土地の管理運営には携わらず、采の統治権はなお王室の下にあることである。
  1. 名:采地。 王から貴族に与えられた土地。
    今兄(貺)畀女(汝)䙐土,乍(作)乃
    中鼎,《銘圖》02382;周早

    王才(在)𢇛,易(賜)[⿺走𠳋](遣)
    遣卣,《銘圖》13311;周早

    [⿸户貝](胥)朕[⿸疒㚔]田、外臣僕。
    聞尊,《銘圖》11810;周早

楚簡

{彩}{綵}の意味に用いられる。郭店《性自命出》「」を上博一《性情論》は「」に作る。
  1. 動: みだれる。=㥒
    不又(有)夫柬﹦(簡簡)之心則
    郭店《性自命出》45
  2. 「采(綵)勿(物)」:彩色を施した旌旗・衣服など。その彩色によって貴賤を区別した。
    𪴨﹦(業業)天[⿱陀土](地),焚﹦(紛紛)而多采(綵)勿(物)
    上博三《恒先》8

    恙(祥)宜(義)、利丂(巧)、采(綵)勿(物),出於[⿱乍又](作)。
    上博三《恒先》7

釋形

「爪」(手の象形)と、「木」または「枼(あるいは“㕖”[1])」からなり、手で葉(あるいは実)を摘み取るさまの象形で、「採」の初文。甲骨文の二種の字体のうち、ただの「木」に従う字体が後代に引き継がれた。

釋詞

「采」声字は「取る」「彩る」義を共有する。


2017/08/11

字典「再」

「再」

釋義

甲骨文

残辞に一例みえるのみで、意味は不明。
  1. 允〼
    《合集》7660;典賓

金文

西周期の例はない。「二番目」「二回目」「ふたたび」の意味で用いられる。「閏再某月」は二回目の月(閏月)のことで、秦簡にも同用法が見られる。
  1. 数:二度、二回。二回目、二番目。
    隹(唯)廿又祀。
    𠫑羌鐘,《銘圖》15425-15429;戰早

    元年閏十二月丙午。
    元年閏矛,《銘圖》17668-17669;戰晩
  2. 副:ふたたび。かさねて。もう一度。
    尸(夷)用或敢[⿱再口](再)𢱭(拜)𩒨(稽)首。
    叔夷鎛,《銘圖》15829;春晩

    𬯔(陳)喜[⿱再口](再)立(涖)事歲。
    陳喜壺,《銘圖》12400;戰早

    奠(鄭)昜、𬯔(陳)𠭁(得)立(蒞)事歲。
    陳璋壺,《銘圖》12410-12411;戰中

楚簡

「ふたたび」「くりかえし」の意味で用いられる。《芮良夫毖》にみえる「再終」は二組からなる詩のこと[1]
  1. 数:二度、二回。二回目、二番目。
    内(芮)良夫乃[⿱乍又](作)䛑(毖)夂(終)。
    清華叁《芮良夫毖》2

    𫊟(吾)甬(用)[⿱乍又](作)(作)䛑(毖)夂(終)。
    清華叁《芮良夫毖》28
  2. 動:くり返す。ふたたびおこる。
    䆤(窮)達以旹(時),𫲪(幽)明不
    郭店《窮達以時》15
  3. 副:ふたたび。かさねて。もう一度。
    [⿰忄𠤕](疑)取
    郭店《語叢二》49

    𢘓(謀)亡(無)小大,而器不利。
    清華叁《芮良夫毖》26
  4. 「再三」:何度も。たびたび。
    大(太)子再三,肰(然)句(後)並聖(聽)之。
    上博二《昔者君老》1

    [⿰才匕](必)再三進夫﹦(大夫)而與之[⿸虍皆](偕)[⿱⿴囗者心](圖)。
    清華陸《鄭武夫人規孺子》1

釋形

甲骨文は残辞で文意は不明だが、後代の字形や甲骨文の「冓」「爯」の下部との比較から「再」と見られている。構意には定説がなく、不明。
春秋戦国時代には意符「二」を加えた字体や、羨符「口」を加えた字体が見られる。
秦代の字形は下部が「肉」に似るが、漢代には直線化された。説文小篆は明らかに漢隷の字形から作られたもので、秦篆とは異なる。
六朝楷書では中央縦画を下まで伸ばす字体が用いられたが、説文小篆を楷書化した字体が《干禄字書》の正体・開成石経の規範字体とされ、以降の字書に引き継がれた。さらに《字彙》では中央横画が短くなり(理由不明)、これが康煕字典体および現在の規範字体のもととなっている。

釋詞

待考。


2017/08/06

字典「宰」

「宰」

釋義

甲骨文

五期甲骨文に「宰丰」が数例見えるのみである。「宰」は職名、「丰」は人名である。
  1. 名:職官名。
    王曰刞大乙[⿱隹示]于白麓𥑿丰。
    《合集》35501;黄一

    王易(賜)丰。
    《合補》11299反;黄一

金文

職官名。主に人名の前につけて「宰某」の形で用いられる。特に周中晩期に多く見られる冊命儀礼においては補佐を行い、銘文では「宰某右某,入門,立中廷。」のような文章が決まり文句になっている。
  1. 名:職官名。
    王[⿱火女](光)甫貝五朋。
    宰甫卣,《銘圖》13303;商晩

    𣍧(胐)右乍(作)册吴,入門,立中廷。
    作册吴方彝蓋,《銘圖》13545;周中

    引右頌,入門,立中廷。
    頌壺,《銘圖》12451-12452;周晩

楚簡

楚簡においては「刀」を加えた異体字が多く用いられる。「宰尹」は《韓非子・八説》で料理人とされているが、楚簡ではそのような記述はみえない。
  1. 名:職官。
    八月[⿱丙口](丙)戌之日,[⿸宰刂](宰)𥎵受[⿱几日](幾)。
    包山《受幾》36

    季𬨤(桓)子史(使)中(仲)弓爲[⿸宰刃](宰)
    上博三《仲弓》1

    史(使)[⿱隹吕](雍)也從於[⿸宰刃](宰)夫之𨒥(後)。
    上博三《仲弓》1

  2. 「太宰」:職官名。王の側近。楚では地方官。
    大(太)𠹼(宰)之駵(騮)爲左驂。
    曾侯乙《乘馬》175

    七夫﹦(大夫)所[⿱歐巿]大(太)𠹼(宰)[⿰匹馬]﹦(匹馬)。
    曾侯乙《敺馬》210

    新都南陵大(太)宰䜌(欒)[⿸疒首](憂)。
    包山《疋獄》102

    [⿱𢽟貝]尹皆紿[⿰紿⿹𠃌一]丌(其)言以告大(太)[⿸宰刂](宰)
    上博四《柬大王泊旱》19

    五(伍)員爲吴大(太)[⿸宰刂](宰)
    清華貳《繫年》第十五章83

    奠(鄭)大(太)[⿸宰刂](宰)[⿰忄旂](欣)亦𨑓(起)𥛔(禍)於奠(鄭)。
    清華貳《繫年》第二十三章131

    楚恭(共)王又(有)𨚮(伯)州利(犁),以爲大(太)宰
    清華叁《良臣》11
  3. 「宰尹」:職官名。地方に配置され、治獄(裁判)に関わっている。
    𠹼(宰)尹臣之騏爲右[⿰馬𤰇](服)。
    曾侯乙《乘馬》154

    𠹼(宰)尹臣之黄爲右[⿰馬𤰇](服)。
    曾侯乙《乘馬》155

    以[⿲彳乃攵][⿸宰刂](宰)尹[⿰弓𠓥]與〼。
    葛陵《卜筮祭禱》甲三356

    福昜(陽)[⿸宰刂](宰)尹之州里公婁毛受[[⿱几日](幾)]。
    包山《受幾》37
  4. 「少宰尹」:職官名。宰尹の副職。
    䢿(鄢)[⿱宀邑]夫﹦(大夫)命少[⿸宰刂](宰)尹鄩𫌳。
    包山《集箸言》157

    䢿(鄢)少宰尹𫑜〈鄩〉𫌳以此[⿱竹𠱾](志)至(致)命。
    包山《集箸言》157反


釋形

「宀」と「䇂」に従う。「䇂」は「乂」の初文で、草を刈る鎌の象形[1]。「宰」はおそらく「䇂」に「宀」を加えた形声字(樂郊)。下部の「䇂」は後代に近形の「辛」と同形となった。
下部を「辛」として罪人と結びつける説があるが、誤りである。

釋詞

「宰」と「䇂(乂)」は{割断}義を共有する。
  • 乂,《説文》十二篇下《丿部》「芟艸也。」(266上)
  • 宰,《慧琳音義》卷十八《十輪經》第三卷音義引《考聲》「大也,理也,制斷也。」(816下)
また{治理}義を共有する。
  • 乂,《爾雅・釋詁》「治也。
  • 宰,《玉篇》卷十一《宀部》「治也,制也。」(209)

「宰」「䇂」「司」はしばしば互いに交替する。
  • 《説文》六篇上《木部》「梓,楸也。从木,宰省聲。榟,或不省。」(111上)
  • 《説文》十四篇下《辛部》「辭,說也。𤔲,籒文辭,从司。」(311上)、兮甲盤「王令甲政𬋹(司)成周亖(四)方責(積)。」(《銘圖》14539)
  • 《龍龕》卷四《肉部》去聲「𦛛,俗。䏤,古。𦞤,今。」(413)
したがって{宰}、{䇂}、{司}はおそらく同源詞である。「宰」は「䇂」声字と考えられる。
ただし、「宰」の声符である「䇂(乂)」と後代の「乂」とは音が異なっており、或いは「䇂(乂)」は異音同義の二詞同居字かもしれない。


大熊肇『字体変遷字典:【女】』訂補

各文中で△は該字を示す。

P214「奴」字第1行第3列“甲骨”

この字形(摹本)の出典は《合集》8251正である。
  1. 〼[王占]曰:吉。〼□曰𫭠(往)仌〼□毓。
    《合集》8251正;典賓
△はと小点に従う。一般に「女」旁は跪いた姿を描き、足を伸ばしたのように作るのは稀である。逆に、(1)にも用いられている「毓」字()は、一般に足を伸ばした「女」旁()と上下逆向きの「子」と小点に従う。したがって、△は「毓」から派生した字、或いは「毓」の訛字と考えられる。
また、この字はこの片にしか見えず、残辞で文意も明らかではない。“奴”と隷定するのは良いとしても、後代の「奴」字との繋がりは認められず、「奴」の甲骨文として扱うのは不適と思われる。

P214「好」字第1-2行第1列“甲骨”、第3-4行第1列“金文”、第1-2行第2列“金文”

殷墟甲骨文や商金文には「帚(婦)好」が多く見られる。
  1. 已丑卜,㱿,貞:翌庚寅,帚(婦)好娩。
    《合集》154;典賓
  2. 辛丑卜,㱿,貞:帚(婦)好㞢(有)子。
    《合集》94正;典賓
「婦好」は武丁の妻で、金文はその墓から出土した銅器のものである。
甲骨文には「婦好」のほかに「婦妌」「婦姼」「婦娘」など多くの「婦某」が多数みられる。「婦」は王の配偶者、あるいはなんらかの身分・地位をもった者の称号である。下一字はは人名・族名を表しており、「婦井」「婦多」「婦良」の例があることからもわかるように、女偏は「婦」の人名を表す際にしばしば付け加えられるものである。
したがって、「婦好」の「好」は「子」に女偏を加えた人名専用字で、後代の【喜好】の「好」とは関係がない。同様に甲骨文にみえる女に従う字の多くは婦名専字で、後代の同形字とは無関係である。

また第3行第1列“金文”の字は二つの「女」に従うが、右側は「婦」の女偏である。これは「婦好」のそれぞれの女偏を対称に配置して芸術性を高めたものである。商代金文の族徽銘文はロゴのようなものなので、文字として考える場合注意が必要である。

P216「如」字第1行第1列“甲骨”

「女」は手を胸の前で交差させた形であるが、△が従うのは後ろ手に縛られた人の象形である。△は「訊」の初文で、黄組甲骨文や西周金文では「幺」が意符として加えられている。
参考:張亞初《甲骨金文零釋・释訊》,《古文字研究》第六輯,中華書局1981年;宋鎮豪、段志洪主編《甲骨文獻集成》第十三册,四川大學出版社2001年。等

P216「如」字第2行第1列“甲骨”

この字形(摹本)の出典は《合集》13944である。
  1. □巳[卜,]貞:今娩。
    《合集》13944;典賓
△は「好」字で、原拓は「子」の下部が潰れて鮮明ではないため、模写を誤ったものである。卜辞は婦好の出産に関するものである。《合集》2688は「好」字をに作り、△字に近しい。

P216「如」字第3行第1列“甲骨”

原拓は極めて不鮮明だが、出産に関する卜辞であることから、おそらく△は婦名専字である。西周金文に「如」字は見られず、「女」が用いられていることからも、甲骨文の“如”と後代の「如」は別であると見てよい。

P216「妃」字第3行第1列“甲骨”、第2行第5列“戦国・金文”

△(「𡚱」)は「女」と「巳」に従うが、これを「妃」とする根拠はない。裘锡圭は甲骨文中の「女」あるいは「妾」と「卩」に従う字が「妃」「配」の初文であると指摘する。
参考:陳劍《釋〈忠信之道〉的“配”字》,《國際簡帛研究通訊》第二卷第六期,2002年;陳劍《戰國竹書論集》第14-23頁,上海古籍出版社2013年。

P216「妃」字第1-4行第2列“金文”

△は「女」と「己」に従う。金文では全て人名に用いられている。
  1. 𩵦(蘇)甫(夫)人乍(作)𫲞(姪)襄𧷽(媵)般(盤)。
    蘇夫人盤,《銘圖》14405;周晩

《國語・晋語一》「殷辛伐有蘇,有蘇氏以妲己女焉。」韋昭注「有蘇,己姓之國,妲己其女也。」、△は「己」に女偏を加えた字で、後代の「妀」である。《説文・女部》「妀,女字也。从女,己聲。」、「妀」と「妃」は別字である。

P218「妨」字第1行第3列“銀雀山竹簡”

この字形(摹本)の出典は銀雀山竹簡《晏子》530である。銀雀山竹簡の書写年代は前漢で、先秦のものではない。

P218「委」字第2行第2列“甲骨”

「禾」と「女」に従う「委」は秦簡以前には見られず、この字を「委」とする根拠はない。後代の「委」とは確実に別字である。

P220「妾」字第1行第1列“甲骨”

この字は「羊」と「女」に従う婦名専字である。頭上に何かをつけた女性の象形である「妾」とは明らかに別字。

P220「妾」字第1行第2列“金文”、第1行第6列“西狹頌”、第1行第9列“敬史君碑”

金文の字形(摹本)の出典は己侯簋(《銘圖》04673)である。「羊」と「女」に従う字で、明らかに「姜」字である。《説文・女部》「姜,神農居姜水,因以爲姓。」、「姜」と「妾」は別字である。

P220「妾」字第2行第3列“子彈庫楚帛”

この字形(摹本)の出典はおそらく子彈庫帛書《丙篇・十月》である。「羊」と「我」に従い、「義」字である。

P222「姓」字第1行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「姓」とは無関係の別字である。

P222「姓」字第1行第2列“金文”

この字形(摹本)の出典は兮甲盤(《銘圖》14539)である。
  1. 其隹(唯)我者(諸)𥎦(侯)、百
    兮甲盤,《銘圖》14539;周晩
{姓}に用いられているが、字体は明らかに「生」である。詞義によって字を掲載するのか、字体によって配列するのか一貫性がない。

P224「姦」字第1行第1列“殷・金文”、第3行第1列“殷・金文”

この両字は婦名専字で、後代の「姦」「奸」とは無関係の別字である。

P224「姫」字第2行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「姫」とは(また無論「姬」とも)無関係の別字である。

P226「姪」字第1-2行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「姪」とは無関係の別字である。

P226「姪」字第2行第3列“金文”

この字形(摹本)の出典は王子△鼎(《銘圖》01749)である。銘文は極めて不鮮明で、△を「姪」と断定するのは問題がある。董蓮池は「致」の変化した字であるとする。
参考:董莲池《释王子姪鼎铭中的“致”》,《中国文字研究》第十六辑第19-21頁,上海人民出版社2012年。

P226「娯」字第1行第9列“呉瑱墓誌”

呉瑱墓誌は後代の偽刻であり、北魏の墓誌銘ではない。
参考:澤田雅弘《偽刻家Xの形影 : ―同手の偽刻北魏洛陽墓誌群―》,書学書道史学会《書学書道史研究》No.15第3-21頁,2005年。等

P226「娠」字第1行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「娠」とは無関係の別字である。

P226「娘」字第1行第1列“甲骨”

この字は婦名専字で、後代の「娘」とは無関係の別字である。

P228「婁」字第1行第1列“甲骨”

この字形(摹本)の出典は《合集》8175であるが、原拓は極めて不鮮明で、この字形には問題がある(先に述べたが「女」をこの形に作ることは稀である)。また模写が正確だったとしても、「婁」は「角」を声符として含む字であるから、「日」に従っている△を「婁」とすることはできない。

P228「婁」字第2行第2列“睡虎地秦簡”

『字体変遷字典』における「睡虎地秦簡」の字形の出典は全て張守中撰集《睡虎地秦簡文字編》(文物出版社,1994年)であるが、該書の摹写字形は稚拙で、ほとんどもとの書法を伝えていない。該書において△の出典は睡虎地《日書甲種・取妻出女》6背となっているが、原字の中央部に縦画は存在せず、摹写の誤りである。